先日「不安の正体」の上映会をやりました。精神障害の人達との直接のおつきあいのないところでの偏見、先入観が「不安の正体」なのですが、それを解消するにはお互いの出会いの機会を作る、一緒に楽しいことをするのがいちばんだと思います。ところ実際にそういうことをやろうとすると、また別の問題があることがわかりました。当事者の方が地域の人たちといっしょに楽しいことをやることをあまり望んでいない、という問題です。
区役所で精神障害の人達の定期的な集まりがあるから娘さん(当事者です)もよかったらどうぞ、とその案内のチラシをもらったのですが、娘はちらっと見て無言でパス。チラシを見ると中身が全くおもしろくないのですね。あ、おもしろそうって思えるような企画が全くなく、よくある映画鑑賞とか音楽鑑賞で、娘がパスするのも、ま、当然と言えば当然。
で、区役所まで、もうちょっと改善した方がいいんじゃないの、と言いに行きました。
「お試しに私に一回任せませんか?地域の人が見ても、あ、ちょっと行ってみようかなって思えるくらいの企画をしますよ」
「当事者の人達は自分の障がいを人に知られたくないと思っているので、内輪だけの集まりです。」
「内輪だけ?世界の広さ、面白さを知らないままの人生って淋しくないですか?せっかく生きているのに、もったいないですよ。自分の障がいを隠すのではなく、開けっぴろげにして、自分の人生を障がいと一緒に堂々と生きていった方が楽しい気がしますが…」
「ま、そうですが、ここを変えるのはむつかしいです。」
「私に任せてくれれば、簡単なワークショップの中で、知らない人と一緒に何かやることの楽しさを体験できて、そういった積み重ねの上に、少しずつオープンの場にしていけると思いますよ」
「そうですか、では少し検討させて下さい」
この場をオープンにするのはガードが堅いですが、その日の打ち合わせの感じでは、少し可能性が見えた気がします。あとはいかにおもしろい企画が立てられるかどうかですね。その企画の中で、当事者の人達がどこまで心と体を開いてくれるか、です。
たとえばこんな詩をみんなで朗読するワークショップもやってみようかなと思っています。長田弘さんの詩です。一人で黙って読むのではなく、誰かに向かって声を出して朗読します。
自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スのはいっていない一日だ。
手に持ってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。
それから、確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて、
面とりをして、そして一日の
見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。
そうして、深い鍋に放りこむ。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらい差して、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。
こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。
誰かに向かって声を出して朗読すると、詩がムクムクと生き始めます。心が元気になります。そういったことをいろんな人達と共有します。そんなワークショップをやっていく中で当事者の人達の心と体が自由になるといいなと思っています。そんな中で地域の人達とも出会ってもらえれば、生きる世界がぐんと広がります。