ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

美帆ちゃんのこと忘れないよ 事件から10年目に

 昔学生の頃、教会でやっていた聖書研究会に通っていて、その時に石原吉郎という詩人を紹介され、今もその詩集を大事に持っています。ものすごく分厚い詩集で、その中にある評論の中に

 

 《 ジェノサイドの恐ろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることではない、その

   中に、ひとりひとりの死がないということが、私には恐ろしいのだ。 》

 

 相模原障害者殺傷事件が起こったとき、保護者の希望で名前を公表しませんでした。美帆ちゃんのお母さんだけが、それはおかしい、と声を上げ、美帆ちゃんという女性が亡くなったことを私たちは知りました。

 

    

 

 NHKの方が、当時美帆ちゃんをなくし、落ち込んでいたお母さんを元気づけようとぷかぷかに連れてきました。事件の犯人は

「障害者はいない方がいい」

などと主張していましたが、ぷかぷかは

「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」

と主張しています。そんなぷかぷかにやってきたお母さん、少し元気が出てきたようで美帆ちゃんのお話をいろいろ聞きました。唐揚げが大好きだったそうで、12月5日の誕生日に近い給食のメニューを唐揚げにしました。

 

 

 お母さんも食べに来たこともあって、その時、

「高崎さんは気がつかなかったかもしれないけど、美帆ちゃんもいっしょに食べてたんですよ」

といい、そうか、唐揚げのメニューにするってそういうことなんだ、と思ったりしました。美帆ちゃんを思い出すだけでなく、美帆ちゃんも食べに来るんだ、って。

 

 ぷかぷかさんの中には美帆ちゃんの誕生日にはいつもバースディカードを作ってお母さんに送る人もいます。丁寧に丁寧にカードを描きます。できあがったカードは私の方で美帆ちゃんのお母さんに送るようにしています。

 

www.pukapuka.or.jp

 

www.pukapuka.or.jp

 

www.pukapuka.or.jp

 

www.pukapuka.or.jp

 

ブログにこんなこと書いたこともありました。

《 昨年事件の遺族の方がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。

 遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが

「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」

と、いつもの調子で質問攻め。

「ぷかぷか、頑張ってます」

なんていう人もいました。

 そんなぷかぷからしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物だったそうで、娘さんと一緒に唐揚げを食べている気分でした、とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、隣に並んで食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会をやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。

 

 遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。

 

 事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。

 ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。

 昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で

「とがった心が丸くなる」

と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。

 事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、なんだか寒々しい気がします。

 その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。 》

 

  美帆ちゃん、君のこと忘れないよ。

 

 それは事件を忘れないということ。この社会でどうしてあのような事件が起こったのか。この社会の、何が問題なのか。それを考え続けること。そのことの大事さを美帆ちゃんは教えてくれたように思うのです。

 

 

串間での上映会 主催者の思い

先日の宮崎県串間での上映会、ワークショップを企画した石山さんの思い。

 

ぷかぷか上映会
ありがとうございました。
たくさんの方に見ていただくことができました。
そしてハートフルセンターの広いホールで
たくさんの車椅子ユーザーが前半分のフリースペースで、後ろ半分のシアター状の座席には歩ける方たちに座っていただき。
こんな景色を見たことがない。と、
前に立って挨拶する時に、感動の塊がぶあっと込み上げてきました。
同じ空間で同じ映画を見ることができる。
あたりまえのようで実は難しい、そんな景色が見られたことが、きっと未来へと繋がっている。そんな確かな想いになりました。
そして衝撃だったワークショップ。
同じ目的を持って同じものを作る。
その説得力が圧巻でした。
知的障がいのある彼らのユニークさ、自由さ魅力が、発言や行動から溢れ出ていて、それを魅入る瞬間がたくさんありました。
それらが渦巻きのように渦巻いてやがてみんなを一つにするエネルギーに変えていきました。
それぞれ違う人たちがつながる瞬間をこの目で見た。その破壊力に、これが同じことをするということを高崎さんが大切にしていた理由なんだと理解しました。
そしてお話会。
寝ずに考えた私の思いを、なかなか上手に言い🤣
高崎さんと藤崎さんが歩んでこられた40年という軌跡。40年も彼らと一緒にいてくれたその秘密を。
心温まるお話をたくさん聞けました。
そしてグループに分かれて、それぞれの秘めた想いを話し合いました。
私のテーブルには高崎さん。
隣のテーブルには藤崎さん
そのまた隣のテーブルには藤崎さんの奥様。
がついてくださりました。
障がい者の親として、時々ものすごく孤独を感じてきたけど、仲間がここにいる。そう感じた時間でした。   
最後に脳性麻痺で体はとても不自由だけど聡明な20代の女性が「今回のぷかぷかに参加できて本当に良かったです。
この企画を開催していただきありがとうございました。」と言っていて、
私はこの言葉を聞くために3ヶ月動いてきたのかもしれない。そう思いました。
 
 
こうちゃんとお母さん(石山さん)

 
石山さんは初めてこんな企画をやりました。Facebookも初めてで、どうやって始めるかをメールで伝えるのが大変でした。それでも150人も人を集め、上映会ができてしまったのは、やはり日々の人付き合いの幅の広さ、濃さだったのではないかと思います。この経験がこれからどんな風に生かされるのか、楽しみです。
 

 

やまゆり園事件から10年

 やまゆり園事件から10年になります。あれだけ衝撃的な事件があったにもかかわらず、障がいのある人たちを取り巻く状況はそれほど変わったとは思えません。

 神奈川県では「共に生きるかながわ憲章」を定めていますが、当たり前のことが書いてあるだけで(優等生の作文のよう)、これで社会が変わるとはとても思えません。

 https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawa-sh/documents/message3.pdf

 

 「障がいのある人とは一緒に生きていった方がトク!」

といった感じの、泥臭いおつきあいこそが、今必要なんじゃないかと思います。いっしょに笑うとか、いっしょに怒るとか、腹を立てるとか、いっしょに寝っ転がるとか、そういったふだんの暮らしの中でのふつうのおつきあいをコツコツ作っていく。

 そのおつきあいをちょっとずつ広げていく。広げていくことで社会は少しずつ変わっていく。

 「共に生きる社会を作ろう」といった大きな話ではなく、身近にいる障がいのある人達と小さな物語を日々作っていく。「今日いっしょに笑ったよ」とか、「けんかしちゃった」とか、「一緒にお出かけして楽しかったよ」といった日々の小さな物語こそが大事。

 「支援」という上から目線ではなく、どこまでもフラットな関係で彼等とつきあっていく。それがいっしょに生きるということ、共に生きるということ。

  

 事件があったからって、社会はすぐに変わるわけではありません。何よりも多くの人は、私には関係のないこと、と思っています。それが社会です。そんな社会をどうやって変えていくのか、なんて大それたことは考えず、とにかく彼等と過ごす日々を丁寧に作っていく。そして

「いい一日だったね」

って、お互いが笑顔で話せるような、そんな関係を大事にしたい。

 


 

 

串間でワークショップ

宮崎県の串間でぷかぷかの映画『Secret of Pukapuka』の上映と1時間ほどの簡単な演劇ワークショップ、それにみんなでわいわい話し合いをやってきました。

 

 

 

 

 

 



 演劇ワークショップはほとんどの人が初めてだったので、とても新鮮な感じで受け止めてくれました。こういう非日常的世界での気づきは自分の日々を見直すきっかけになります。人生が弾んでくるかも。 機会があればまたやりましょう。

宮崎県の串間で『Secret of Pukapuka』の上映、演劇ワークショップ

30日、宮崎県の串間で『Secret of Pukapuka』の上映、1時間ほどの演劇ワークショップ、なのはな村の藤崎さんとの対談、討論会を行います。

 

『Secret of Pukapuka』の予告編

www.youtube.com

 

主催する石山さんは以前こうちゃんといっしょにぷかぷかに見学に来ました。

www.pukapuka.or.jp

 

 演劇ワークショップはわずか1時間ほどなのでたいしたことはできないのですが、それでも今までにない新しい出会い(自分自身との出会いも含めて)があると思います。なのはな村の藤崎さんとは30年ぶりくらいに会うので、いろんなおもしろい話ができるのではないかと楽しみにしています。

 

 時間があれば昔子ども連れでいった鶏小屋と畑を見たいと思っています。

 

そうそう、もうすぐ完成するぷかぷかの映画の予告編の上映もします。

重度障害者、逸失利益はゼロ?

 重度障害者は逸失利益はゼロなのか?と問う記事がありました。 

 

www.tokyo-np.co.jp

 

 私が養護学校の教員をやっている頃、別の養護学校でプール指導の際、重度障害の子どもが亡くなるという事故がありました。その時問題になったのが、この重度障害者の逸失利益をどのように算定するかということでした(逸失利益とは事故がなければ得られたはずの将来の利益のこと)。

 社会に出て働けないのだから逸失利益はゼロ、という意見と、働けなくてもまわりの人を様々な形で癒やしているのだからゼロはおかしい、という意見とがぶつかっていました。

 結論がどうなったのかは忘れましたが、私自身は重度障がいの方と様々な形でおつきあいすることで、私自身が人としての幅が広がり、人生が豊かになった感じがありました。教員になる前は普通の会社で働いていましたから、養護学校で障害のある子ども達と初めて出会い、「こんなステキな人達がいたんだ」という気づきは、人生の幅がグンと広がった気がしました。なので彼等には感謝しかありません。確かに彼等は生産性という観点で見ると、なかなか厳しい面はあります。でもその点だけで評価すると人として大事なものを見落とす気がします。

 たとえ重い障がいがあったとしても、その人とおつきあいがあれば、逸失利益はゼロという風には普通考えません。それが人と人とのおつきあいというものが生み出す素晴らしさだと思います。

 

 いろんな人がいっしょに生きている社会において、

「人が生きている価値ってなんなのか」

その普遍的な問いこそ、今、みんなで考える必要があるのではないかと思います。そうすることで

 「重度障害者の逸失利益はゼロ」

などという、頭がクラクラしてくるような言説を超えることができるように思ったりするのです。