今朝8月26日の朝日新聞朝刊の「相模原事件が投げかけるもの 下」は《優生学上の見地から不良な子孫の出生を防止する》という《優生思想から私たちは自由になれたのか》を問う、とてもいい記事でした。
生まれつき骨が折れやすく、車イスを使う安積遊歩さんは《不良な子孫の出生を防止する》という条文に「この世の中は、女としても、人間としても、私に存在するな、といっている」と衝撃を受け、自殺未遂を繰り返した、といいます。
《不良な子孫の出生を防止する》という条文に「私に存在するな、といっている」と安積さんは受け止めるのですが、私たちにその想像力がないことこそが問題であるように思います。相模原障害者殺傷事件の容疑者の「障害者はいない方がいい」という言葉を、言われた側に立って受け止める想像力です。
出生前診断で陽性反応が出た母親の96%が中絶を選ぶという社会の現実も、容疑者と同じ言葉ではないにしても、障がいのある子どもを受け入れないという社会を反映したものであり、そういう意味では同じことを言っていると思います。そういう中で私たちは今何をすべきなのか、ということです。
ぷかぷかは設立以来《障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ》というメッセージを日々発信し、それに共感する人、ぷかぷかが好き!という人を地域の中で増やしてきました。そういったことが、相模原障害者殺傷事件以来、「今まで以上に大切になった気がしています。
障がいがあり、女性運動もしてきた米津知子さんは「障害者は不幸で価値が低く、社会の負担とみる優生思想は根深く、みんなが吸収して育つ」といいます。
大事なことは優生思想を批判しつつ、それを超える思想を持つことだと思います。
《障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ》のメッセージは優生思想をひっくり返すほどの思想のひとつではないかと思います。