ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている

 2年前のぷかぷか上映会の感想に「ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている」というのがありました。

 

《 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。》

 

 ぷかぷかの評価はいろいろありますが、

 「街の価値を上げている」

というのは初めてです。

 感想を書かれた方は4年前に引っ越してきた方のようですが、この街に来てぷかぷかさんたちのとほっこりあたたかな出会いを経験し、この街に来てほんとうによかったと感じたのではないかと思います。多分それまでは障がいのある人たちとこんな楽しいおつきあいはなかったのではないかと思います。だから余計にぷかぷかさんたちとの出会いが新鮮で、うれしかったのだと思います。この街に来て、障がいのある人たちと思いもよらない楽しい出会いがあったこと、この街に来なければ、こんな風に彼らと出会うこともなかったし、こういうことってこの街の価値をあげてるんじゃないか、という気づき。

 

 ぷかぷかは街の人たちの障がいのある人たちと出会って欲しいと思い、街の中にお店を作りました。障がいのある人たちの魅力を知って欲しいと思ったからです。彼らの魅力を知る人が増えることは、街を豊かにすると考えていました。

 今回は街の人、つまりは彼らと出会う側からの、今までにない新しい考え方を教わった気がしました。あれができないこれができない、効率が落ちる、役に立たない等々、マイナスの評価の多い彼らですが、出会ってみたら素敵な人たちじゃないか、こんな素敵な人たちと出会える場があるってことは、街の価値を上げているよ、と街の人がいっているのです。

 「街の価値」という言葉が新鮮でした。ぷかぷかさんたちの存在が、街の価値を引き上げている。素敵な言葉だと思いました。

 

 家で飼っている猫の絵をぷかぷかさんに描いてもらい、それをTシャツに転写して、子どもに着せている方が昨日の「でんぱた 米まつり」に来ていました。

f:id:pukapuka-pan:20211114144759j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211114144842j:plain

 

(お母さんのFacebookに載っている写真)

人、子供、立っている、レンガ壁の画像のようです 

 

アート屋わんどで頼んだうちの猫のチーちゃんのTシャツ。
好きです!素敵すぎます!
 
とお母さんのFacebookにありました。ぷかぷかさんは街の人たちのこんな素敵な物語を作り出しているのです。こんな風にして街の価値を上げているのだと思います。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虐待を起こさないような関係を日々作っていく

  県立障害者施設で虐待事件があり、あまりにひどいので県に対し質問状を出しました。

www.pukapuka.or.jp

  で、その返事。

 

f:id:pukapuka-pan:20211108155256j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211108155355j:plain

 

 どこまで本気でやるのか、といった感じです。いろいろ研修はやったようですが、こんなありきたりの研修で人は変わりません。研修に本気度が感じられないのです。

 ぷかぷかがやった人権研修会はこんな感じです。

www.pukapuka.or.jp

 

 月刊『創』に渡辺一史さんが事件について原稿を書いています。

www.tsukuru.co.jp

binb.bricks.pub

 

 いずれにしても県には期待できないので、自分で虐待を起こさないような関係を日々作っていくしかないのだと思います。

 コロナでこの2年、休んでいた演劇ワークショップを来年は感染対策をしながら再開しようと思っています。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいことが素直に伝わるような舞台を作ります。虐待を起こすような関係とは正反対の関係です。

f:id:pukapuka-pan:20211110134000j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211110134014j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211110134024j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211110134035j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211110134046j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211110134058j:plain

 

オオキしゃん   (養護学校キンコンカン-⑤)  

  養護学校の教員をやっていた頃の話です。

 

 トミちゃんは業務員のオオキさんが大好きです。一日一回は会わないと気がすみません。オオキさんに会いたくなると「オオキしゃん」とぼそっとつぶやき、もうそれだけでうれしくなって「ヒャ〜」ってコーフンした声が出て、顔はもううれしくてうれしくてくしゃくしゃ。

 「ようし、オオキしゃんとこ行くか」

と、トミちゃんの手を引いて業務員室に向かいます。業務員室が見えてくると

 「オオキしゃん、オオキしゃん、ヒャ〜ッ」

と、声がだんだんうわずって、うれしさに身もだえするように床にひっくり返ってしまいます。誰かのこと好きになるって、こういうことなんだとしみじみ思ったりしました。

 業務員室の前まで来ても、すぐには飛び込んだりせず、ちょっとはにかむように業務員室の方をチラチラ見ながら、まわりをうろうろします。大好きな人に会える気持ちの高まりをちょっとずつ楽しんでいる感じなのです。トミちゃんは、ふだんは何かと大変な子どもなのですが、こういうところを見ると、ほんとうはすごくナイーブな心を持ってるんだ、となんだかうれしくなってしまいます。

 そうして長い時間かけて気持ちの高まりを楽しんだあと、いよいよ業務員室に飛び込みます。オオキさんがいれば

 「オオキしゃん!オオキしゃん!ヒャ〜ッ」

と抱きついたり、手を引っ張ったり、床にぺたんと座り込んだり、もう大変な騒ぎ。顔はもう幸せではち切れそう。

 でも、机の上にお菓子があったりすると「オオキしゃん!」とうわずった声を出しながら、机に向かって突進。カメレオンの舌のような早業でお菓子を口に運んでしまいます。このあたりがトミちゃんのすごいところ。

 

 トミちゃんが人の名前を言うのはオオキさんだけです。毎日いちばんつきあっている担任のぼくの名前は、くやしいことに一度も口にしたことがありません。まわりの教師たちの名前も口にしません。それはそのまま、トミちゃんがまわりの人をどんな風に感じているかを物語っています。

 学校の中でいちばん子どもの面倒を見ていると自分で思い込んでいる教師の名前ではなく、いちばん地味な仕事をしている業務員のおじさんの名前を口にするというところが、なんとも痛快というか、トミちゃんの人間を見る目の確かさを思うのです。

 学校には業務員さんのほか、スクールバスの運転手さんや添乗のおばさん、給食の調理員さんといった、子どもたちにいわゆる「指導」をしない人たちがたくさんいます。そういう人たちは子どもたちとごくふつうにつきあっていて、見ていてとても気持ちがいいです。そのことをいちばん感じているのは子どもたちだと思います。

 

f:id:pukapuka-pan:20211102131158j:plain

 「しばいごや」に登場したバスの運転手さん(中央蝶ネクタイのおじさん)とバスの添乗のおばさん(右側赤いドレスとサングラスの女性)、その後ろ、赤いシャツにサングラス、鼻に白い線を引いているのは若き頃のタカサキ。

 

 「オオキしゃん」とつぶやいて、床にひっくり返ってしまうくらいうれしいトミちゃんを見ていると、ぼくも含めて教師というのは子どもたちに対して何をしているのかと思ってしまうのです。「タカサキぃ」とつぶやいて、床にひっくり返るくらい喜ぶ子どもがいないのはどうしてなんだろう、ということこそ、真剣に考えねばならない問題だと思うのです。

 トミちゃんとオオキさんのおつきあいを見てると、人と人がおつきあいすることの豊かさのようなものを感じます。「指導」という関係は、こんな豊かさを作り出しているだろうかと思うのです。機会見つけてオオキさんのところへ教えを請いに行こうかと思っています。

1000年プロジェクト

 上野さんのいろいろ米、ライ麦をこれから先も長く残して欲しいと思い、何年か前から農業法人(複数の人間で上野さんの思い、技術を共有しながらいろいろ米、ライ麦を作っていく)の提案をしているのですが、なかなか話が進まず、どうしたものかと思いながら昨日上野さんに会ってきました。

 たまたま出かけた日の朝日新聞朝刊に「千年耕せる農業」と題した記事がありました。「千年後もこの地を耕し続けられるよう持続可能性と生物多様性に資する農業をしたい。それには有機農業だ。」という記事です。

digital.asahi.com

 千年先を見通しながら農業やるってすごいなと思いました。

 上野さんのいろいろ米、ライ麦も1000年先まで残せたらいいなと思いました。いろいろ米もライ麦もそのくらい価値あるものだと思います。残すためにはどうしたらいいのか。1000年先を考えると家族だけでやるには多分無理です。たくさんの人のつながり、アイデア、情熱が必要です。それを「上野さんのいろいろ米・ライ麦 1000年プロジェクト」という形でやってみてはどうかと思うのです。

 奥さんの礼子さんの話では、地元の生産者の集まりでも、

「やっぱり上野さんのお米が一番」

と、評判だそうです。お米を作る技術と上野さんのお米への思いがそういうおいしいお米を作り出しているのだと思います。そのおいしいお米を1000年先まで残すにはどうしたらいいのか。技術と思いをどうやって継承していくのか。

 そのアイデアを広く募集します。アイデアは takasaki@pukapuka.or.jp までメールでお願いします。そのうち上野さんのいろいろ米、ライ麦の魅力を伝えるサイトを作りたいと思っています。

 

いろいろ米を作っている田んぼ

f:id:pukapuka-pan:20211031185150j:plain

 

ライ麦の畑

f:id:pukapuka-pan:20211031185303j:plain

 

上野さんご夫婦

f:id:pukapuka-pan:20211031185402j:plain

 

家の天井の梁がすごい

f:id:pukapuka-pan:20211031185439j:plain

 

お土産にいただいたぽんせんとうどん。ラベルの絵を描いたのはぷかぷかさんです。

f:id:pukapuka-pan:20211031203701j:plainf:id:pukapuka-pan:20211031203825j:plain

 

いろいろ米の入った食パン

教会に行ってきました。

 コンノさんは今、就労移行の事業所で研修をやっています。毎週水曜日の夜、六角橋教会の祈祷会に参加していると聞いたので出かけてきました。

 

最初に賛美歌を歌います。

www.youtube.com

 

聖書を読みます。

www.youtube.com

 コンノさん、企業就労目指して就労移行の事業所に行ってるのですが、実習しても就職先がなかなか決まらず、実習に行かない時は箱折りをやったりして、楽しい日々とはいかないみたいです。教会に来るのは「安心の港」としてくるようだ、と牧師さんはおっしゃっていました。先々不安を抱える日々。だからこそ教会を信頼し、ここに来るとホッとした気分になるようです。水曜日の夜の祈祷会に毎回来るようになったのはこの1年くらいだそうです。就労移行の事業所に行き始めてからです。

 昨日の朝日新聞「折々のことば」

f:id:pukapuka-pan:20211025230055j:plain

 コンノさんが教会へ来て祈るのは、待つほかないものを待ちきっているのかも、と思いました。

 

 

 コンノさんが聖書を読んだあとの牧師さんのお話で「信じる」とか「祈る」という言葉の意味がよくわからなくて、帰ってから動画を何度も見直しました。3日くらいたって、「信じる」って、自分の「信念」(障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ)を信じることであり、それが実現することを願いながら様々なことを実践すること、それが「祈る」ことの意味ではないかと思い、牧師さんに問い合わせたところ、その通りです、という返事が来ました。

  牧師さんによると

「イチジクの木の場合、イエスの義憤(マグマ)が行動に出たのが、すぐ手前の(悪名高い)「宮浄め」の話。その後日談として付け加えられたのがイチジクの木と考えると、イチジクの木を「呪った」というより、エルサレム神殿をイチジクの木にたとえ、当時のユダヤ教の堕落ぶりを非難した話となります。そのうえで、「信じる」ことと「祈る」ことを、神殿祭儀や律法順守(行為主義)の上に置こうとしたと考えられます。つまりは「原点回帰」という宗教改革運動。」

なんだそうで、なるほど、と思いました。

 ぷかぷかも障がいのある人たちの社会の中での扱いに、やりきれなさ、憤りを感じながら、それでもそれを前面に出すことなく、

「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」

と前向きの形でメッセージを出し続けていますが、イエスの「義憤」はとてもよくわかります。やまゆり園事件に関するブログを書き続けているのは、まさに「義憤」です。

 

 

彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。

 でんぱたしんぶんに短い詩を投稿しました。

 

 彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。

 彼らがそこにいるだけで、

 なんか気持ちがやさしくなるような、

 そんなたたずまい。

 彼らがそこに立っていること

 それが彼らのあいさつ。

 そのあいさつが心地いい。

 そのあいさつは、

 人が生きる上でなにが大切か

 教えてくれる。

 あーだこーだの小難しい話抜きで。

 彼らのね、そんなたたずまいがぼくは好きです。

 やっぱり彼らとはいっしょに生きていった方がトク!

 とあらためて思うのです。

 

f:id:pukapuka-pan:20211019153147j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153151j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153213j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153226j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153241j:plain

    f:id:pukapuka-pan:20211019153255j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153343j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153412j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019153434j:plain

 

f:id:pukapuka-pan:20211019154405j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019154423j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019154448j:plain

f:id:pukapuka-pan:20211019154452j:plain












 

アンジェルマン症候群の子どもとの出会いが人生を変えた

 アンジェルマン症候群で検索すると重度障がいの話が出てきます。気の滅入るような話ばかりで、前向きの話は全く出てきません。

www.nanbyou.or.jp

 でも私はアンジェルマン症候群の子どもと出会ったおかげで人生が変わり、ぷかぷかを立ち上げるまでになりました。

 私が養護学校の教員になって最初に受け持った子どもたちの中にサト君というアンジェルマン症候群の子どもがいました。全くおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことやることはしっかり理解していて、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれ、当時教員としては新米の私をしっかり支えてくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、いや〜おもしろいおもしろい、と支えてくれたのでした。大きなうんこが出たと私を大声で呼び、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまいました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。結局私も一緒に笑い転げて、一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。サト君は、発達障害的にいえば重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもでした。

 「人間ていいな」って月並みな言葉ですが、サト君はその言葉をしみじみと実感させてくれたのです。人が人といっしょに生きていくとき「人間ていいな」って思えることはとても大切なことです。サト君と出会うまで、そんなこと一度も思ったことがなかったので、とても淋しい人生でした。人間にとってとても大切なことを重度の障害児のサト君が教えてくれたのです。「ゲハハ」「ガハハ」って豪快に笑いながら。

 世界にはこんな素敵な子どもたちがいたんだと大発見した気分。人生が変わりましたね、彼らとの出会いで。ぷかぷかを作ったのは彼らとの出会いがあったからです。重度障がいの子どもであっても、出会い方一つで、そこから素晴らしい物語が始まるのです。

 まわりを幸せな気持ちにさせる彼らは社会の宝だと思います。ただその宝と出会えない人たちがまだまだたくさんいます。しゅん君との出会いも、しゅん君が不審者と間違えられて警察まで行った、というお母さんのFacebookでした。

www.pukapuka.or.jp