ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

へこんでいる部分を、がんばって、『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか

 今朝の朝日新聞「障がいのある人もない人も 成長する仲間」と題した記事はとてもいい内容でした。

digital.asahi.com

 ダウン症の子どもを持つお母さんが、保育園や小学校でふつうの子どもたちと一緒に過ごすことで、本人だけでなく、周りの子どもたちにもいい影響を与えていることに気がつき、ちょうど障害者雇用に取り組み始めた自分の会社で、一緒に働いてみることを提案。その結果、会社がどんな風に変わったかを伝える記事でした。

 「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった。」など、現場社員の気づきは、その場面が目に浮かぶようです。

 メンバーさんが「うれしかったのは『ありがとう』『助かったよ』と言われることです」と1年を振り返って発表すると、目元を拭いながら聞き入る社員もいたそうで、すごくいい関係ができていたのだなと思いました。

 こんなふうに全体的にすごくいい記事だったのですが、最後のところで

「へこんでいる部分を『ふつう』にあわせることに必死になるよりも、飛び出ているところをもっと伸ばせばいい。そうして本人に自信がつけば、へこんでいる部分に対しても、がんばろうという気持ちになれる」

 と書いてあって、なんだかがっかりしました。

 へこんでいる部分を、がんばって、結局は『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。へこんでいる部分があるからこそ、会社の中で今までにないいい関係ができ、素晴らしい気づきがあったのではないか。社員たちは彼らのへこんだ部分に救われたのではなかったか。へこんだ部分を『ふつう』にしてしまったら、彼らが会社の中で働く意味がなくなってしまうのではないか。

 

 ぷかぷかに来たお客さんたちがほっとした気持ちになったり、なんだか救われた気持ちになったりするのは、ぷかぷかさんたちがへこんだままで働いているからです。へこんだ部分こそ大事にしているからです。そのままでいいよ、そのままのあなたが一番魅力的だよ、と言い続けているからです。

 そして何よりも、へこんだ部分を持ったぷかぷかさんたちが、社会を誰にとっても居心地のいいものに変えていっていること。これはすごく大きなことです。へこんだ彼らにしかできないことです。そのことをきちんと見ていきたいと思うのです。

 

 

何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。

 2年ほど前、福岡で小さな講演会をやった時、特別支援学校で教員をやっている方が

「あの空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にてますます思うこの頃です」

とブログに書いていました。

 「あの空気感」というのはぷかぷかさんたちが生み出す、ほっこりあたたかな空気感です。

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 特別支援学校にはすてきなぷかぷかさんたちがいっぱいいるのに、あの空気感が生まれないのは、なんかすごくもったいない気がします。

 学校というところは生徒たちを「指導」します。「指導」という関係しか頭に思い浮かばない、といった方がいいかもしれません。そういう上から目線の関係ではなく、そこから自由になって、フラットにつきあえば、もっといろんなおもしろいことができるのに、と思うのです。

 

 教員になって最初に受け持ったのは重度障がいの子どもたちでした。毎日がすごい大変でしたが、大変な中にあっても、彼らのそばにいるとふっと心和む時があって、いつしか彼らのそばにずっといたいなと思うようになりました。

 人間にとって大切なものは何か、ということを重度障がいの彼らに教わった気がしました。そんなことに気づいて以来、自分の方がえらいとは思えなくなったのです。だから彼らを「指導」するなんて、そんなえらそうなことはできなくなったのです。

 もちろんいろいろ教えることはありました。着替えの仕方を教えたり、うんこの拭き方を教えたり…。でもそれは目の前にいる人が知らないから、あるいはできないから教えてるだけで、これは人として当たり前のことです。街で困っている人に会った時、ちょっとお手伝いするのと同じです。こんなことは「指導」とはいいません。

 自分の方がえらいと思わなければ、相手との関係はフラットなものになり、お互い居心地がよくなります。周りの子どもたちとふつうにつきあう。ただそれだけです。「あの空気感」は、この居心地の良さから生まれます。何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。

 たとえばこんなこともできちゃうのです。

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 昔私が教員をやっていた頃の「芝居小屋」です。サングラスかけた怪しい男が私です。 

 こんな自由な雰囲気から生まれた元気物語を集めたのが『とがった心が丸くなる』です。次回はその「芝居小屋」の話を書きます。

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世界に対するラディカルで、                                それでいて優しい反撃ー。

 30年前、養護学校の生徒たちと一緒に演劇ワークショップをやろうと思ったのは、1980年代初め、フリピンの人たちが持ち込んだ演劇ワークショップを経験したことがきっかけでした。みんなが自由になれるワークショップの場の雰囲気がすごくいいと思いました。養護学校の生徒たちと一緒に、そういう場に立てば、お互いがもっと自由になり、学校よりもはるかにいい出会いがあるような気がしたのです。そして、もっとすごいものが生まれるのではないか、と。

 そして実際にそれが起こったのです。

 

   自由になった場で、彼らは自分たちの思いを思いっきり表現しました。目次の第二章にその時のことを書き起こしています。 

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 「 ようよう、この女のヤロウをどこかに、と、とじこめちゃおうぜ」

 ドキッとするような台詞が、リハーサルの最中に突然飛び出したことがありました。普段はおとなしいカタヒラ君が、女性二人の前に立ち塞がり、口から泡を飛ばすような勢いで、そんな台詞をしゃべり出したのです。打ち合わせではもちろんそんな台詞はありません。リハーサルの途中で、カタヒラ君の中で突然何かがはじけた感じでした。ふだん抑えつけている気持ちが、ワークショップという、いつもより自由になれる場で、ワァーッと吹き出したのだと思います。

 

 ワークショップの中でどんな芝居を作りたいか聞いた時、出てきたのは「たばこを吸うところ」「ゲームセンターであそぶところ」「彼女とデートするところ」「北斗の拳」など、ふだんできないことでした。それを芝居の中でやってみたい、と。いろいろ話をし、学園ものの芝居の中で、それらをやることになりました。

 で、「たばこを吸うところ」というのが下の写真。ゲームセンターであそび、たばこに火をつける時、「おい、火」と手下にいうと、手下は「はい」といっていきなりライターの火になって「シュッ」と燃え上がったのでした。これも打ち合わせでは全くなかったことで、いきなり手下がやったのでした。人が自由になる、というのはこういうことではないかとしみじみ思いました。

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 「彼女とデートをするところ」がやりたいといったホシ君、夢にまで見た公園でのデートシーン。手をつないで歩けばいいところを、恥ずかしくて手もつながず、ベンチの周りを縦に並んで二人で歩きます。緊張した面持ちで何度も何度も回ります。ようやく立ち止まってそばの柱にもたれかかります。恋人に背を向けたまま、照れくさくて柱をぎゅっとつかんでいます。そんなホシ君に恋人が話しかけます。

「あの…けんちゃんのこと…すきになっちゃったみたいなんだ…」

 ホシ君は、そんな言葉をずっと待っていたはずなのに、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしていいかわからなくて、長い腕を「ズズッ」と伸ばしただけでした。でもホシ君の気持ちはもうそれだけで十分伝わり、お客さんは大笑い、拍手、拍手でした。

 

 学校生活の思い出を語る場面。

「いいダチができていろいろおもしろかったけど、センセーがサイテーだった」

という台詞に「ワァーッ」と喝采した彼ら。もうはじけんばかりのうれしそうな顔。そういう思いが持って行き場のないままずうっとたまっていたのではないかと思います。そういったものがいろんな形で爆発した芝居でした。 

 

 少し長いですが原文から引用します。

●●●

 「精薄」だの「知恵遅れ」(★当時の表現です)だのいわれ続けてきた彼らである。彼らの中に渦巻くいろんな思いも、そういわれ続ける中で、ほとんどといっていいほど無視、あるいは黙殺されてきた。この子たちが、あるいはこいつらがそんなこと思うはずがない、いや、思ったにしても、そんな思いより彼らに作業能力を、生活能力をつける方が大事だといわれ続け、結果的には彼らの思いなどといったものは二の次であった。

 そういうものが大事だとしても、思いは思いとしてあるのが人間だろう。いや、それがあるから人間なのだといった方がいい。だからそれを無視されることは、彼らの人間性が無視されることでもあった。そのことがどれだけ大変なことであるか、無視する側は大抵気がつかない。

 それがついに爆発した。その爆発のエネルギーこそが、見る者の胸ぐらにぐいぐい迫ってくるような、あの勢いある芝居を創り出したのではなかったか。それは無視され続けながらも、なおも人間であろうとする彼らの熱い思いであっただろうし、それ故に、その思いを表現する彼らは、舞台の上でまぶしいほどに輝いた。

 芝居の最後に彼らが「涙のリクエスト」をのりにのって歌いまくった時、、その輝きの故に、多くの人が涙した。あの芝居でやったことは、それこそ彼らの「涙のリクエスト」だった。そのリクエストに私たちはどこまできちんと応えていけるだろう。

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 黒色テントの成沢富雄さんはこんな風に語る。

「表現」というのは、そのまま、今まで生きてきた自分の生活史や社会関係、世界に対して反撃するものだとぼくは思っている。「表現する」という行為は、今まで生きてきたことをいっさいチャラにできる瞬間を持っている。

 

 彼らの芝居はそういうものではなかったかと思う。彼らの輝きにふれ、深い感動を覚えたあの瞬間こそ、養護学校の彼らが、彼ら自身の「表現」によって、今まで生きてきた世界との関係性の一切をチャラにした瞬間ではなかったか。

 彼らの「表現」を前にした時、私たちの中にある「精薄」だの「知恵遅れ」だのといった言葉や、それらが規定していくお互いの関係性といったものは、ほとんど意味を失う。そしてそういった言葉が確固たる地位を持ち、その上に成り立っている今の社会・文化といったものまでが、その基盤のところで揺らいでしまうだろう。だから、彼らの「表現」は、あのワークショップの発表会の場を突き抜けて、外の世界をひっくり返してしまうようなラディカル〔根源的〕なものを本質的には含んでいたように思う。

 世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。

 

 「できる」「できない」で人間を決めつけていく今の序列社会にあって、彼らを底辺に追いやる一方で、かろうじてその位置を免れたと思っている私たち自身、決して楽しい、自由な人生を送っているわけではない。むしろお互いにきゅうきゅうとした、もう息苦しくてしょうがないような生き方をしてしまっているのが現状だ。

 そういう中にあって、彼らのあの「表現」に出会う時、今までの関係を彼らの側からチャラにされただけでなく、そのことでむしろ私たちの側が救われたのではなかったか。なぜなら、彼らの「表現」こそ、「できる」「できない」で人間を決めつけていく原理を遙かに超えるものであったからー。

●●●

 自分で書いた文章ながら、彼らの表現と社会状況の結びつきをきっちり書いている気がします。あれから30年、学校も社会も彼らの思いを今、どれだけ受け止めているのでしょう。学校も社会も当時よりも更に息苦しくなっています。私たちだけではどうしようもない状況です。やっぱり彼らの助けを借りないと、この状況は変えられない気がします。「共生社会を作ろう」「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉がはやっていますが、社会は何も変わりません。言葉を言うだけ終わるのではなく、実際に彼らとその中身を具体的に創っていく。そこにしか希望はない気がします。『とがった心が丸くなる』には、その希望を創り出すヒントがたくさんあります。ぜひ読んでみてください。お互い、もっと生きやすい社会にするために。 

 

 グループ現代が1986年の演劇ワークショップの記録映画を作りました。ビデオの保管が悪くカビが生えてしまったのですが、富士フイルムに依頼してDVDの形で復活してもらいました。カビの影響で最初だけ映像が乱れていますが、あとは見られます。二巻目の22分頃から高校生グループのリハーサルシーンが始まります。最後「涙のリクエスト」を歌う最後の場面は何度見ても涙が出てきます。舞台に出ているチバ君も何度か目をこすりながら歌っています。

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障がいのある子どもたちとの出会いから生まれた元気物語。

 

 

「共生社会」が何を作り出すのか、それをわかりやすく語る写真

 なにかにつけ「共生社会」という言葉が出てきますが、その具体的な中身になるとさっぱり見えません。それを口にすれば、何かいいことやってるイメージというか、ただ言葉をもてあそんでいるだけ。相模原市がオリンピック聖火をやまゆり園事件の現場で採取するなどといったとんでもない企画を出してきたのも、多分そのあたり。

 

 今朝の神奈川新聞成田さんのFB

【やまゆり園事件と五輪聖火52】共生とは、啓発するものでも願うものでもない。共生の方に向かってなされる日々の実践の中から立ち現れるものだと思う。打ち上げ花火のような一過性のパフォーマンスからは共生は生まれない。絶えることのない実践の中からしか生まれない。

 

 「共生」とは言うのではなく、やるもの。ぷかぷかがやっているのは、まさにそれ。私が昔やっていた「あそぼう会」は30年も前にその実践をやっていました。

 『とがった心が丸くなる』にはその実践記録である元気物語が満載。

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 今ぷかぷかでやっている演劇ワークショップは、この本を書いた1985年に始めました。あれができないこれができない、とマイナス評価ばかりの養護学校の生徒たちでしたが、彼らと一緒にやれば、なんかとんでもなくおもしろいものが生まれるのではないか、という予感があったのです。

 予感は見事に当たりました。芝居を作る手がかりとして大きなぬいぐるみを模造紙と新聞紙で作ったことがあります。その時養護学校の生徒の一人が

「俺、海のぬいぐるみ、作るから」

といいました。

 え?海のぬいぐるみ?海の、どこを、どう切り取って海を作るの?と思いました。

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 こういうとんでもないことをさらっと思いつく彼らと一緒にやるから、楽しさが5倍くらいになり、でき上がる芝居の幅がぐんと広がります。楽しさと幅の広がりは、そのまま彼らといっしょに生きる意味を語っています。

 そんな中で彼らに向かって

「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」

としみじみ思うようになりました。

 「共生社会を作ろう」とか言葉遊びをするのではなく、

「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」

とリアルに思える関係を30年も前に作ったのです。

 

 下に貼り付けた当時の写真からはワークショップの場が作り出すエネルギーがビリビリ伝わって来ます。彼らと一緒に芝居を作ることで生まれた小さな「共生社会」が作り出すダイナミックなエネルギーです。

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 「共生社会」が何を作り出すのか、それをわかりやすく語る写真だと思います。

 

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こういった日々を作っていく先に、お互い生きやすい社会が実現するように思います。

 一ヶ月ほど前、聖火リレーの火をやまゆり園の事件現場で採取することが報道され、すぐに相模原市のホームページから質問状を送りました。

 

 聖火リレーの火を津久井やまゆり園で採取するそうですね。「共生社会の実現を目指すパラリンピックの理念に沿ってあらゆる差別をなくしていくという強い決意を世界に向けて発信したい考えです。」とNHKの報道がありました。「あらゆる差別をなくしていくという強い決意を世界に向けて発信」するそうですが、今まで差別をなくしていくためにどんなことをされましたか?これからどんなことをされますか?やまゆり園事件を超える社会を作るためにどんなことをされましたか?これからどんなことをされますか?具体的に教えて下さい。

 

 で、一週間ほど前、相模原市から回答が来ました。

 

 本市では、平成14年3月に、本市が実施すべき人権施策についての基本理念を明らかにし、主要な人権分野における具体的施策の方向性を示した「相模原市人権施策推進指針」を策定し、人権施策の総合的・体系的な推進に取り組んでまいりました。
 平成31年1月には、新たな人権課題などへの対応等のため、同指針を改定し、あらゆる施策への人権尊重の理念の反映、人権教育・人権啓発の推進、人権擁護に向けた相談・支援体制の充実を基本姿勢として示すとともに、それを踏まえ主要な人権分野における具体的施策の方向性を定め、人権施策の推進に取り組んでいます。
 また、障害の有無に関わらず、誰もが安全で安心して暮らすことのできる共生社会の実現に向けて、「共にささえあい、生きる社会」をキャッチフレーズに掲げ、様々な周知啓発活動を行うほか、パラスポーツの体験イベントや障害者週間のつどいの開催等に取り組んでいるところです。
 今後も、津久井やまゆり園事件のような悲惨な事件が二度と起こらないよう、事件を風化させることなく、障害等の理解促進などの取組を推進してまいります。

 

 もっともらしいことを書いていますが、それでいて、あの悲惨極まりない事件現場からお祭り騒ぎのための聖火の火を採取するというのです。何という感覚かと思います。

 事件で犠牲になった人たちの悲しみ、痛みといったものが、全くわからないのだと思います。だからこんなとんでもない企画が出てくる。

 毎日新聞の報道に寄れば、この相模原市の企画を神奈川県、オリンピック組織委員会、津久井やまゆり園がそろって「了承」しているというのですから、あきれました。

mainichi.jp

 

 これが彼らのいう「共生社会」です。人の痛み、悲しみはすべて他人事。自分が人であることを忘れています。空っぽの「共生社会」。

 なんか相手をするのも時間の無駄、というか、ひたすらむなしい感じがします。

 そういうことに時間を割くより〔もちろん抗議することは必要です〕、ぷかぷかさんと一緒に今日も明日もいい一日を作り続けることに力を入れる方が、ずっといい。こういった日々を作っていく先に、お互い生きやすい社会が実現するように思うから。

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気がついたら、けんいち君がバットを持ってかまえていた。

   30年前に書いた『街角のパフォーマンス』という本がタイトルを変えて電子本になりました。新しいタイトルは『とがった心が丸くなる』です。サブタイトルは「障がいのある子どもたちとの出会いから生まれた元気物語」

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 一般的には、何するにしても手助けが必要で、社会の負担と思われがちな障がいのある子どもたちですが、そんな子どもたちとの出会いが、どうして元気物語を生み出すことになったのか。そのヒミツを何回かに渡って書きたいと思います。

 

 始まりは養護学校で働き始め、そこで障がいのある子どもたちと出会ってしまったことです。いろいろ手がかかったり、日々大変なことをやってしまう子どもたちでしたが、それでも彼と過ごす毎日がすごく楽しくて、こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日に公園に連れ出して、一緒に遊ぼうよ、って呼びかけていました。なんとかして彼らの魅力を伝えたいと思ったのです。基本的には近くの公園でしたが、時々武蔵野にある広い原っぱに出かけました。

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 子どもたちが野球をやっていて、そこへ養護学校から連れて行った重度障がいの子どもが入っていきました。私がそんな風に仕向けたのではなく、勝手に入っていった、という感じです。6年生のみさえがその時のことを書いています。

●●●

 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。

 けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。

 でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。

 それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。

 お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。

 でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。

 「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。

  だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。

 けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。

 一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。

●●●

 

 気がついたら、

「けんいち君がバットを持ってかまえていた」

というところから、いきなり新しい物語が始まります。大人が間に入っていたら、いろいろ配慮したりして、多分つまらない展開になっていたと思います。

 初対面にもかかわらず、子どもたちの柔軟な対応が素晴らしいですね。障がいがあって、なんだかよくわからないから排除してしまうのではなく、わからないながらもいろいろ工夫して、一緒に野球を楽しんでしまうところがすごいと思います。

 これが、子どもたちと重度障がいのけんいち君との出会いが生み出した元気物語です。

 後日1年生のくんくんからお手紙が来ました。

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 『とがった心が丸くなる』電子本はアマゾンで発売中です。

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 すでにお読みの方は、このサイトの下の方にある「カスタマーレビュー」にぜひ感想を書いてください。

『街角のパフォーマンス』が電子本に

 『街角のパフォーマンス』が『とがった心が丸くなる』にタイトルを変えて電子本になりました。                   

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 30年前に書いた本です。でも、中身は古くありません。古いどころか、30年前でありながら、そこで作り出したものは、時代のはるか先へ行っていた気がします。

 「共生社会を作ろう」とか「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉も、今ほど社会に広がっていない時代でした。障がいのある人たちに惚れ込み、一緒におもしろいことやろう!と、ただそれだけの思いでいろいろやっていたのですが、気がつくと、いっしょに生きる社会が小さいけれど自分のまわりにできていました。未来を先取りしていた、といってもいいかもしれません。

 支援とか指導ではなく、ただ一緒におもしろいことをやる。そんなフラットな関係で障がいのある人たちとつきあってきました。彼らとのそんなおつきあいのおかげで、今までにない新しいものが生み出せたように思います。新しい文化、といっていいほどのものです。障がいのある人たちがいることで生まれる文化です。障がいのある人たちを排除しない文化です。障がいのある人もない人もお互い気持ちよく暮らせる文化です。社会が豊かになる文化です。この本は障がいのある人たちと一緒に作り出した元気物語です。

 

 30年前に比べ、福祉の制度は格段に進化しました。その一方で、2016年7月津久井やまゆり園で19名もの重度障害の人たちが殺されるという悲惨な事件がありました。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という勝手極まりない理由で何の罪もない人たちが19名も殺されたのです。

 ところが、あれだけの事件でありながら、事件から4年たった今、社会は何も変わりませんでした。福祉施設での障がいのある人たちへの虐待は相変わらずです。障害のある人たちのグループホームを建てようとすると、多くの地域で反対運動が起こります。「自分の住む地域に障害者はいない方がいい」と多くの人が思っています。「障害者はいない方がいい」は犯人だけでなく、社会の意思でもあったのだろうと思います。

 

 障がいのある人たちを排除する社会は、許容できる人間の幅が狭くなります。みんなの心がとがってきます。お互いがどんどん窮屈になり、息苦しさが増すばかりです。

 そんな社会は、どうやったら変えられるのでしょう。それは私たちが障がいのある人たちといっしょに楽しく生きていくことだと思います。彼らとおつきあいすると、私たちのとがった心が丸くなります。社会が、ゆるっと緩やかになります。この本にはそのためのヒントがいっぱいあります。それを一つでもいい、自分の地域でやってみて下さい。まわりの社会が少しずつ変わってきます。

 

★文中「知恵おくれの子どもたち」とか「精薄」といった言葉が使われています。今は「知的障害」といわれていますが、当時の彼らに対する社会の視線が感じられるので、あえてそのままにしてあります。

 

★電子本はなんと900円。安いです。900円で元気物語を読んで、元気になれたら、これはすごくトク!です。

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