ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

へこんでいる部分を、がんばって、『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか

 今朝の朝日新聞「障がいのある人もない人も 成長する仲間」と題した記事はとてもいい内容でした。

digital.asahi.com

 ダウン症の子どもを持つお母さんが、保育園や小学校でふつうの子どもたちと一緒に過ごすことで、本人だけでなく、周りの子どもたちにもいい影響を与えていることに気がつき、ちょうど障害者雇用に取り組み始めた自分の会社で、一緒に働いてみることを提案。その結果、会社がどんな風に変わったかを伝える記事でした。

 「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった。」など、現場社員の気づきは、その場面が目に浮かぶようです。

 メンバーさんが「うれしかったのは『ありがとう』『助かったよ』と言われることです」と1年を振り返って発表すると、目元を拭いながら聞き入る社員もいたそうで、すごくいい関係ができていたのだなと思いました。

 こんなふうに全体的にすごくいい記事だったのですが、最後のところで

「へこんでいる部分を『ふつう』にあわせることに必死になるよりも、飛び出ているところをもっと伸ばせばいい。そうして本人に自信がつけば、へこんでいる部分に対しても、がんばろうという気持ちになれる」

 と書いてあって、なんだかがっかりしました。

 へこんでいる部分を、がんばって、結局は『ふつう』にあわせることがいいことなんだろうか。へこんでいる部分があるからこそ、会社の中で今までにないいい関係ができ、素晴らしい気づきがあったのではないか。社員たちは彼らのへこんだ部分に救われたのではなかったか。へこんだ部分を『ふつう』にしてしまったら、彼らが会社の中で働く意味がなくなってしまうのではないか。

 

 ぷかぷかに来たお客さんたちがほっとした気持ちになったり、なんだか救われた気持ちになったりするのは、ぷかぷかさんたちがへこんだままで働いているからです。へこんだ部分こそ大事にしているからです。そのままでいいよ、そのままのあなたが一番魅力的だよ、と言い続けているからです。

 そして何よりも、へこんだ部分を持ったぷかぷかさんたちが、社会を誰にとっても居心地のいいものに変えていっていること。これはすごく大きなことです。へこんだ彼らにしかできないことです。そのことをきちんと見ていきたいと思うのです。