ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

人を幸せな気持ちにさせる、というのは、なんかすごいチカラ

 ひよりちゃんがご飯を食べに来ました。そばにいるだけで幸せな気持ちになります。

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  人を幸せな気持ちにさせる、というのは、すごいチカラだと思います。生産性の価値基準では語れないチカラです。

 そういうチカラを持った人があちこちにいることが、街の豊かさではないかと思います。

 いつだったかぷかぷかの上映会の感想に、

 「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」

と感想を書いてくれた方がいましたが、ぷかぷかさんたちのチカラをちゃんと見ている方なんだと思いました。

 「街の価値」という言葉が素晴らしいと思います。そういうものをぷかぷかが作りだしている、ということ。

 

 都筑区のグループホーム反対運動では、反対理由の中に

「障害者のグループホームができると土地の価値が下がる」

というのがありましたが、正反対の評価です。

 この差はなんなのか。

 結局のところ、当事者の人たちといい出会いをしているかどうかだと思います。

 私は街の人たちに障がいのある人たちに出会ってほしいと思ってぷかぷかを街の中に作りました。たくさんの人が彼らと出会い、たくさんのファンができました。

「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」

という言葉も、その出会いの中から生まれてきたのだと思います。

 

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 人を幸せな気持ちにさせるような人は、街の宝だと思います。宝は大事にしたいです。

「障害者に税金を使う意味があるのか」

という意見もありますが、それに対しては

「意味があります」

と自信を持って言いましょう。

 そのためには、彼らと一緒に生きる事で私たち自身が豊かになったことを実感することがまず第一です。そのことを外に向かって発信しましょう。街が豊かになったことも。

 さらに、彼らと一緒に生きることで社会を豊かにするものをいっぱい作りましょう。

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 ひよりちゃん、真ん中で頑張っています。

 

 こういう人とはやっぱり一緒に生きていったほうがトク!

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「相手からも学ぶ」といった双方向の関係を取り戻す

  こんな投書がありました。

 

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 数日前、やまゆり園事件の裁判の記事では被告の証言としてやまゆり園での対応が載っていました。

 

 「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

 

 

 相手をしている障がいのある人たちを「見下している」のは、どこの福祉事業所でも同じなんだと思いました。どうしてこういうことになるのか。

 二つに共通しているのは「支援」という上から目線の関係です。相手がいろいろできないからやってあげる、という一方的な関係。

 上から目線の関係は、時には相手から何かを学ぶ、という謙虚さがなく、お互い学び合う、といった双方向の関係にはなりません。いつも一方的。私=「できる人」「やってあげる人」、相手(障がいのある人)=「できない人」「やってもらう人」という関係が固定されています。

 「できない人」といわれている人たちも、よぉくつきあってみると、できることがいっぱいあります。私たちにできないことが、ものすごくできたり、といったこともあります。そういうことを見つけ、お互い成長していくのが、双方向の関係です。

 

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こんな絵は私たちに描けません。

 障がいのある人たちは、確かに、できないことが多いです。でも、一方で、私たち以上にできることも多いのです。だから一緒に生きていると楽しいし、そこから新しいものが次々に生まれるのです。

 要は、そういうものを相手の中に見つける目を持っているかどうかです。

 自分たちの方ができる、という思い込みは、謙虚に相手を見る目を奪います。できないことばかりが目に入って、こいつらどうしようもない、と更に見下していきます。

 

 風通しの悪い、閉鎖空間で相手を見下すことが日常になると、相手を人として見ることができなくなります。

 「殴っていい」

 「人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

というのは、まさに相手を人として見ることができなくなっているからだと思います。現場がどんどん荒廃していきます。投書に出てきた福祉事業所も、やまゆり園も、そういった現場なんだと思います。

 

  どうすればいいのか。

 それは一方的にやってあげるのでなく、「相手からも学ぶ」といった双方向の関係を取り戻すことです。謙虚な気持ちで相手を見るのです。そうすれば、障がいのある人たちは、私たちにはない、いいものをいっぱい持っていることがわかります。そんな彼らとおつきあいすると、私たち自身が豊かになります。一緒に生きていったほうがトク!と思えるようになります。

 まさに、障がいのある人たちと一緒に生きていくのです。お互いが学び、豊かになっていく双方向の関係が生まれます。そうすれば、福祉事業所は全く違うものになります。

 それがやまゆり園事件を超えることだと思います。

 

 

9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。

www.pukapuka.or.jp

 

 

 

 

 

 

ぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』(仮)

 2030年4月1日

 一人の青年が広場に立っている。ベンチには気持ちよさそうに眠るセノーさん。

「あの広場のうた」を鼻歌で歌う青年の脳裏に、この20年の思い出が走馬灯のようによみがえる…

 

 こんな風に始まるぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』(仮)の製作がいよいよ始まります。

 ぷかぷか10周年。ぷかぷかは何をしてきて、これから何をしていくのか。

 それを映像で表現したい。

 

 

 始まりは、10年先からこの10年を振り返ってみよう、というもの。ひょっとしたら10年先の社会は

「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ。その方がトク!」

なんてメッセージは、もう色あせています。

「そんなの当たり前じゃん!」

ていう雰囲気。

 障がいのある人もない人も、みんながもっともっと生きやすくなっています。

 そんな社会を作っていく中心になっているのが、ぷかぷかさん達。

 「ぷかぷかさん達は社会を耕し、豊かにしている」

という気づきが、たくさんの人たちに共有され、社会が変わっていきます。

 難しいことではありません。

「彼らと一緒に生きていく」

 ただそれだけです。

 何かやってあげようとか、「支援」ではなく、ただ一緒に生きていく。

 ただそれだけで社会が変わることを、ぷかぷかの10年は、具体的に示してきました。

 『ぷかぷかな物語』『Pukapukaな時間』、ぷかぷかのホームページ、Facebookを見てください。ぷかぷかのまわりで社会が少しずつ変わってきたことがよくわかります。

 「共に生きる社会を作ろう」「共生社会を作ろう」なんてキャッチコピーのような言葉ではなく

 「いい一日だったね」

って、お互いいえるような関係を作るだけ。そういう一日をいっしょに作るだけで、まわりが変わってくるのです。

 難しいことではありません。その気になるかどうかだけです。

 

 ぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』を見た人みんなが、その気になってくれればいいな、と思っています。

 

 企画・ディレクション:宮原契子(脳腫瘍で亡くなったしんごっちのお母さんたちがやっている「子どもホスピス」のプロモーションビデオを作りました。ホームページの右側に映像がはめ込まれています。

childrenshospice.yokohama

 

「親が精神障害、子どもはどうしてんの?」というぷるすあるはの映像も作りました。

pulusualuha.or.jp

 

 撮影、編集:内田英恵(ぷかぷかの最初のプロモーションビデオを世界自閉症フェスティバルの主催者に紹介してくれたことがきっかけで、カナダの旅が実現しました)

 音楽・音響:藤木直人(映画『ぷかぷかさんカナダをゆく』エンディングの盛り上がりは藤木さんの音楽のおかげです。第5期演劇ワークショップの音楽もすべて藤木さんです。)

 

 どんな映画に仕上がるのか、楽しみにしていてください。

 未来へのメッセージです。みんなで作っていきたいと思っています。こんな風にしたらいい、こんなことも入れた方がいい、といった意見、どんどんお寄せください。みんなでステキな未来を作っていきましょう。ご意見は下記サイトへ

www.pukapuka.or.jp

たから君の存在が、学校を居心地のいい場所に

 先日神奈川新聞に「共生の学び舎」というタイトルで紹介されたたから君のお母さんのブログです。

ameblo.jp

 たから君がいることで、学校が少しずつ変わってきたようです。その変わり様は、まず子ども達だった、というところがキモですね。子ども達はほっとけば、どんどんいい関係を作ります。たから君と会うのが楽しみで、それまであまり学校に行かなかった子どもが喜んで行くようになった話もありました。

 たから君の存在が、学校を居心地のいい場所にしているのだと思います。

 これって、学校にとってとても大事なことですよね。それをたから君が、黙々とやっている。大人達がやれなかったことを、重度障害のたから君がやっている。

 そのことにまわりの大人達に気がついて欲しいですね。

 たから君のまわりから、学校が変わっていけば、社会全体がもう少し居心地がよくなります。

  

 たから君、ぷかぷかのワークショップに参加したのですが、全くのマイペース。楽しんでいるのかどうか、よく見えなかったのですが、きのこの帽子をかぶったあたりから、俄然楽しくなったみたいですね。本番は親子三人で舞台にしっかり立ちました。

 たから君、真ん中で馬車の白い布をしっかり持っています。その右がお母さん、その隣がお兄さんのそら君

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相手を否定するようなことを言ったりしない

 3月4日、朝日新聞朝刊横浜版、津久井やまゆり園事件の被告の裁判での証言が載っていました。

 

 「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

 

 被告の証言通りであれば、福祉施設としてはひどい現場だったと思います。

 障がいのある人たちをほんとうに馬鹿にしています。相手を人として見ていません。こういうことが「支援」の名の下におこなわれているのだと思うと、なんだかぞっとします。

 こんなやり方で接すれば、相手はひどく傷つきます。そういうことがどうしてわからないのでしょうか?やまゆり園の人権研修はどうなっているのでしょうか?

 いや、人権研修なんかやらなくても、こういうことは普通はしません。普通はしないことを、福祉の現場の人間がどうしてやってしまうのか。支えるべき障がいのある人に対して、どうしてこんな対応をしてしまうのか。 

  この問題こそ、やまゆり園事件の裁判を機に、もう少し議論されるのかと思っていましたが、全くそういう機会もなく、裁判は終わってしまいそうです。

 

  たまたま昨日の神奈川新聞に、個別支援級の子ども同士のとてもいいおつきあいが紹介されていました。「共生の学び舎(上)笑顔で元気に学校へ」という記事です。

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 みさき君は自閉症で、学習障害があり、授業になかなかついていけず、2年生から不登校気味になったそうです。ストレスがたまり、頭を手でたたくなど自傷行為もあり、集団授業が苦痛になって、4年生から支援級に移ります。
 そこで出会ったのが、たから君。自分に自信が持てずに自己肯定感が低いみさき君は、いつも楽しそうで笑顔を絶やさないたから君がクラスにいることで学校に通うのが楽しくなったといいます。元々、年齢が下の子が大好きで世話焼きだが、同級生は大の苦手。同級生とけんかしてイライラしたとき、1学年上のたから君が何も言わずにそばにいただけで気持ちが和らいだといいます。

 みさき君のお母さんはこんな風に言います。

「たから君は、みさきに安心感を与えてくれる存在なのだと思う。相手を否定するようなことを言ったりしないので」

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 「相手を否定するようなことを言ったりしない」

 人とおつきあいする上で、とても大事なことです。それを重度障害のたから君が、ごく自然にやっていて、それにみさき君が救われているのです。

 

 「支援」の現場の大人が、どうして子どもにもできることができないのでしょう。

 

  9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。

www.pukapuka.or.jp

 

 

 

 

人としてのつながりは、大きなチカラ

 「いやぁ〜大変だろうな」って思ってしまうような日々の中で、尚も子ども達と楽しい日々を作り出しているお母さん。

 

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 「重度障害者は不幸しか生まない」といったやまゆり園事件の被告と、同じく重度障害と言われる子ども達と、こんなにも日々を楽しむお母さんは、一体どこがちがうんだろうと思います。

 やっぱりどこかで人として出会っているのだろうと思います。それがあるから、どんなに大変な日々も楽しめたりするのだと思います。

 うちの娘は精神障害があって、調子が悪いときはほんとうに「助けて!」って叫びたいくらい大変です。それでもなんとかやっていけるのは、おだやかになったときの人としてのつながりがあるからだと思っています。その一点で、すべて許してしまうというか…。

 人としてのつながりは、大きなチカラですね。これはもう理屈じゃないです。共に生きる、なんて屁みたいな言葉は、もうやめた方がいい。甘っちょろい幻想を抱かせるだけです。

甘夏パン!

 天草から届いた甘夏を使った甘夏パンができました。フランスパンの生地で作っています。

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 甘夏を作っているのは、もう30年近いおつきあいのある川野美和さん。少し前ですが「あめつうしん」に載っていた「耕す日々」と題した日記にステキな話があったので紹介します。

 

 円(まどか 小2)が夏休みで悲しかったことは子牛が死んだことだよ、という。そうだった。8月20日の夜、私たちがバンビと呼んでいる母牛が予定より二日早く産気づいた(川野さんは牛を育てています)。彼女は今まで二度とも安産だったが、様子がおかしいので見ると、子牛の尻尾が出かかっている。逆子だ。これは大変とすぐTさんを呼ぶ。Tさんは以前にも、逆子を難なく胎内でひっくり返し、無事産ませてくれた受精師、博労、30才。90キロのTさん。大きな手をすぐに胎内に入れて

「う〜ん、これは難しい。破水して水がなくなっとる。ひっくり返らんぞ。もう少しだ、しんぼうしろよ」

とバンビに声をかける間も、水や血が吹き出てくる。バンビもTさんも必死の形相であった。彼の体力と技がなければできないことであった。ようやくのことで引っ張り出す。ぐったりしている。Tさんがすぐに逆さづりにする。息をしているように見える。藁の上に横にして、

「藁で全身をこすれ!」

とTさんが言う。子どもら全員、藁をつかみ、たわしにして頭からお腹、背中、手足、全身をこする。やわらかく、ほかほかと暖かく、つい今まで胎内で動いていた命のぬくもりが切ない。目や口が鼻が足が、今にもピクリと動きそうな気がして、みんな一心にこする。

 しかし、ついに動かなかった。その時母牛についていたTさんが、疲れた声を振り絞って

「もう一頭、はいっとる」

という。えっ、双子。悲しみと光がぶつかり合う。今度は引っ張り出して元気だ。逆子の子は小屋の外に出す。子らはこすり続ける。バンビは元気な子をなめ始めている。Tさんが逆子の舌を引っぱる。だらんと伸びて口の中に返らない。

「だめ、親に見せんようにして。資料袋に入れて」

と、厳しい声のTさん。子どもらはバンビに見えないように背で垣を作る。円もそうっと頭を入れる手伝いをする。

 黒く大きく立派で目にはまだ光が残っているいのちを袋に入れる。やわらかな黒い毛のあたたかさが手のひらに残る。翌日、元(げん)と畑の隅のもちの木の下に穴を掘り埋葬した。

 

 むき出しのいのちが、ここにはあります。子ども達(三人います)は、ものすごくいい経験したなと思います。

 

 川野さんの作った甘夏がたっぷり入った甘夏パンです。ぜひお試し下さい。川野さんの優しい日々が伝わってきます。