ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

湘南ヴィヴィットアート展2018

 湘南ヴィヴィットアート展に行ってきました。味のある作品が今年もたくさん集まっていました。こういう作品はもっともっと社会に出て行った方がいいですね。社会に出していく方法を私たちがもっともっと工夫しないと、せっかくの作品がもったいないです。

 

ハヤチャンの作品

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のぼさんの作品

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アマノさんの作品

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フタミンさんの作品

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アリサさんはこんなすてきな作品を描きます。

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この方もいい絵を描きます。

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入り口にあったこの絵もそうです。

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こんなTシャツもありました。

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テラちゃんは似顔絵を描いていました。なぜか髪の毛がありません

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フタミンさんも今日は似顔絵師

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I AM A MAN(私は人間だ)

 今朝の朝日新聞「1968 抵抗のうねり」は、いろいろ思うことの多い記事でした。

digital.asahi.com

 中でもアメリカに関する記事は秀逸でした。

 

 「I AM A MAN(私は人間だ)」

 今年4月4日アメリカテネシー州メンフィスで、そう書かれたプラカードを掲げ、大勢の市民が行進したそうです。

 1968年、黒人清掃員二人は清掃車に巻き込まれて死にました。待遇改善や安全対策を求めてストライキが発生。

 抗議する作業員に白人の市長が

「おい、BOY。何の用だ」

と怒鳴りました。それに対して一人の作業員が返した言葉がプラカードに書かれていた言葉。

「I AM A MAN(私は人間だ)」

 なんてすばらしい言葉なんだと思いました。

 彼が人間なら、白人の市長は自分が人間であることを忘れているのではないか。そのことを端的に突きつけた言葉だと思います。

 

 白人の市長の、相手をとことん見下す目線は、障がいのある人たちのグループホーム建設に反対する人たちの目線とおんなじだと思いました。

 「おまえ達はここに住むな」

などと、どうして平気で言えるのかと思います。相手が障がいのある人であれば、何言ってもいい、という感覚。

 相手が黒人なら、なに言ってもいい、何やってもいい、という感覚と同じです。

 そういった感覚の人間に、アーダコーダ理屈で反論するのではなく、ひとこと

 「 I AM A MAN(私は人間だ)」

と言い返した作業員の言葉。なんて深い言葉なんだろうと思います。

 

 障がいのある人たちを蔑む言葉が蔓延する社会にあって、私たちもまた

「 I AM A MAN(私は人間だ)」

に匹敵する言葉を持たないとだめな気がしました。

 

 障がいのある彼らも、この時代を一緒に生きている人間、ということ。そのことを忘れてはいけないし、そのことを語る言葉をもっともっと持たねば、と思うのです。

人をどうやって育てるか

 ヨコハマアートサイトから演劇ワークショップの申請書について質問が来ました。こういう質問が来るのは、審査員がぷかぷかの申請書を検討している証拠で、いい傾向です。

 「人を育てることを今期の大きな目標としたい」とありますが、
そのために予定している取組を具体的に教えてください。

 という質問です。

 現在、演劇ワークショップは全体の企画、進行を助成金の申請も含め、ほとんどタカサキ一人でやっています。タカサキは先日69才になったので、早急に次を担う人を育てないとまずいなと思っています。

  人を育てるにはどうしたらいいか。まずは企画の段階から、何人かのスタッフにかかわってもらうことを考えています。スタッフは現場の仕事を抱えているので、日中、企画のために時間を割くのがむつかしく、今まではヒマなタカサキが一人でやっていたのですが、先々を考えるとさすがにこれはまずいと思うようになり、申請書に「人を育てることを今期の大きな目標としたい」なんて書いたのです。

 まずは演劇ワークショップで何をするのか、何を目標にするのか、障がいのある人たちの置かれた社会的な状況にこの演劇ワークショップはどのようにコミットするのか、どのような社会的効果が期待できるのか、この事業を継続させる上でどのような問題があるのか、その解決にはどうしたらいいのか、アーティストとの関わりをどのようにするのか、どのように生かすのか、予算はいくらぐらいで、どうやって確保するのか、等々を何人かのスタッフで話し合っていこうと思います。

 演劇ワークショップの「物語」をみんなで作っていこうというわけです。そういう経験を積むことが、人を育てることにつながっていくのだろうと思います。とにかく「経験」です。

 

 私自身はどうやってこの演劇ワークショップのコツというか、カンを身につけたか。鮮明に覚えているのはマニラでのワークショップ(1986年夏)です。夜、子ども達のワークショップの発表会を見に行きました。スペイン占領時代の古い城砦の跡地で行われていました。舞台に馬が登場します。その馬の蹄の音を見に来たお客さんにやってくれというのです。みんなで足踏みしました。舞台の子ども達の動きに合わせて足踏みします。馬のいななきもします。足踏みしたり、いななきをしているうちに、お客さんであることを忘れ、舞台の子ども達と一緒に芝居を作っていました。マニラの夏の夜は蒸し暑く、汗びっしょりになって芝居を楽しみました。

 すっごく楽しくて、よし、これは絶対に学校でやろうと思いましたね。

 次の年、文化祭でやる学年の芝居は体育館の舞台ではなく、小さなプレイルームでやることにしました。その方が場が集中してやりやすいと思ったからです。プレイルームがひととき熱い芝居小屋に変身したのです。

 たしか『海賊ジェイクがゴンゴン進む』というタイトルの、出たとこ勝負の芝居をやりました。大体こんな感じというあらすじみたいなものは作りましたが、実際どんな舞台になるのかはそのときになってみないとわからないという不安がいっぱいの芝居。まわりのまじめな先生達は、本気で心配してましたね。

 部屋の真ん中が舞台です。まわりにはお客さんがびっしり。芝居小屋の四方の壁には、子ども達がフィンガーペインティングで描いた青い海の絵がぐるっと一周しています。見渡す限り海、というわけです。

 そんな中で、

「みなさん、ここは海です。波の音が聞こえますね。ザザザザ、ザザァ〜ン、ザザザザ、ザザァ〜ン。さぁ、みんなで波をやりましょう」

 と、まわりのお父さん、お母さんを誘います。

「ザザザザ、ザザァ〜ン、ザザザザ、ザザァ〜ン」

といいながら、からだも揺れてきます。部屋一帯が気持ちのいい海になります。

「あ、トビウオだ!そこそこ、そこのお父さん」

と指さし

「お父さん、トビウオです、トビウオはピョ〜ンと飛びます」

と、お父さんをピョ〜ンと飛ばせてしまいます。そういうことがなんとなくできてしまう雰囲気にしておくことがコツです。

「あ、今度はイルカだ!ほらあそこ」

と指さした先のお母さんにイルカになって飛んでもらいます。

会場がだんだん熱くなります。

「あ、向こうから黒い雲が」

といいながら、向こうにいたお父さん、お母さんに、モクモク、と雲をやってもらいます。

 「真っ黒な雲がわき起こると、心なしか風が吹いてきました。」

 ヒュ〜ン、ヒュ〜ン、ヒュ〜ンとお客さんの口がなります。

「風がだんだん強くなります」

 ビュ〜ン、ビュ〜ン、ビュ〜ン

「波が高くなってきました」

ザザザザ、ザザァ〜ン、ザザザザ、ザザァ〜〜ン、ザザザザ、ザザァ〜〜〜ン!

芝居小屋全体が大きな波になってうねります。

「今度は雷!こっちはピカピカッ!」

ピカピカッ!と飛び上がって光ります。

「こっちに雷が落ちます。ドッカ〜ン!」

ドッカ〜ン!と大きな声。

ビュ〜ン、ビュ〜ン、ビュ〜ン

ザザザザ、ザザァ〜〜ン、ザザザザ、ザザァ〜〜〜ン

ピカピカッ、ドッカ〜ン!

ビュ〜ン、ビュ〜ン、ビュ〜ン

ザザザザ、ザザァ〜〜ン、ザザザザ、ザザァ〜〜〜ン

ピカピカッ、ドッカ〜ン!

風をやる人、波をやる人、雷をやる人、全部やる人、なんだかやたらコーフンして叫んでいる人…芝居小屋は熱気ムンムンの大嵐。

 真ん中で子ども達の乗った海賊船は木の葉のように揺れていたのでした。

 

 ドキドキしながら始めた芝居小屋でしたが、みんなで芝居を作っていく、という最初の試みは大成功でした。この時の成功体験がその後の学校での芝居作りを決定づけました。学年の芝居だけでなく全校生を巻き込んだ芝居作りもやりました。全校生を巻き込んだ時は1年かけて少しずつ盛り上がっていく仕掛けにしました。

 ともあれ、マニラの古い城砦で経験した、わくわくドキドキの芝居作りを、こんなふうにして学校に持ち込んだのです。

 ぷかぷかでもいつか機会を見つけてこんな芝居作りやりたいです。若いスタッフ達にぜひ経験して欲しいです。

 

 

 

 

 

 

ツナガリウォーク、気持ちのいい一日でした

 4月28日、ツナガリウォークに参加してきました。

yokohamapj.org

 いいお天気で、気持ちのいい一日でした。障がいのある人もない人もごちゃ混ぜで、のんびり、気持ちよく過ごせた一日でした。

 

 ぷかぷかはお弁当、パン、焼き菓子、アートグッズの販売、それに段ボールを使ったワークショップをやりました。

 ものすごい人出で、お弁当、パン、焼き菓子は1時間ほどで完売。お弁当はなんと160個も作って持って行きました。それが瞬く間に売り切れました。

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 段ボール箱を使って怪獣を作るワークショップをやりました。ワークショップといっても、場所柄、通りかかった人がばらばらに参加するので、家族単位の怪獣作りになり、ワークショップをやることで、新しい関係が生まれるとか、新しいものを発見する、というところまでは行きませんでした。

 ま、それでもそれぞれが怪獣作りを楽しんだことはすごくよかったなと思います。特に怪獣の名前を考える、叫び声を考える、得意技を考える、という課題は、意表を突く課題で、子ども達は一生懸命考えていました。

 この課題は怪獣を作るグループの中で考えると、そこでお互いの関係性ができあがってきたりしておもしろいのですが(これがワークショップです)、今回はそれができなくて残念でした。

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www.youtube.com

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つながりウォークの始まり。こんなにたくさんの人が集まりました。これからみんなで歩きます。

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パレードのあと、怪獣はみんなばらしたのですが、この子だけは家に持って帰りました。

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 遠く新潟大学から二人の学生さんがボランティアで駆けつけてくれました。すごくいい体験になったようでした。どうもお疲れさまでした。

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 障がいのある人もない人も、なんの違和感もなく、楽しく過ごせた一日でした。

 社会全体ががいつもこうだといいな、と思いました。そうでない社会をこんな雰囲気に変えるにはどうしたらいいのか、そこのところこそきちんと考えなくては、と思いました。

 いい一日でしたね、ですませないこと。こんな一日をもっとたくさん、もっとあちこちで作り出すのはどうしたらいいのか、をみんなで考えること。それが大事だと思います。

 

 障がいのある人たちのグループホーム建設の問題で、グループホームができても、障害者は誰もが通っている団地の中の道路は使わせない、というひどい話がありました。バス停までの、誰もが使う道路を使うなというのです。障害者は遠回りしろ、と。そんなことをいうのはおかしい、という感覚が地域社会にないことが怖いと思います。

 今日はみんなで海岸縁の道路を気持ちよく歩きました。当たり前のことですが、障害者はここを歩くな、ほかの道を歩け、という話は誰からも出ませんでした。そんな話はおかしいからです。でも社会に中ではそんな話が当たり前のように出て来るところもあります。どう考えても社会がゆがんでいます。

 障がいのある人もない人も、みんなで楽しく歩けば、お互い気持ちのいい一日が過ごせます。障がいのある人たちをを排除すれば、その地域はすっきりして、みんなが気持ちよく過ごせるのでしょうか?

  障がいのある人たちを排除するのではなく、一緒に生きていった方がいい、その方が社会が豊かになる、とぷかぷかは日々言い続け、そんなふうに思える関係を作り続けています。ですからぷかぷかのまわりは、毎日がツナガリウォークのような雰囲気が実現しています。

ぷかぷかさんと「哲学対話」

 立教大学教授の河野哲也さんが学生さんと一緒にぷかぷかさんと「哲学対話」をしに来ます。「哲学対話」といってもむつかしい話をするわけでもなく、対話を通して真理を探っていく方法です。

 文学部教育学科で特別支援教育に関心のある学生さんを連れてくるようです。立教大学の教育学科はなかなかおもしろいことをやっていて、ちょっとのぞいてみたいくらいです。

www.rikkyo.ac.jp

 

 河野さんは『こども哲学で対話力と思考力を育てる』などの本を書かれています。NHKの「こどものための哲学」の番組にもかかわっています。

www.nhk.or.jp

 

 河野さんとは去年、立教大学であった「哲学プラクティス」の集まりでお会いしました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 河野さんにとって、ぷかぷかは以前から気になっていたようで、いつか見学に行きます、という話を伺っていました。それが5月21日(月)、ようやく実現します。

 ぷかぷかさんと「哲学対話」をしたい、という発想がおもしろいと思います。漠然とおつきあいしたい、というのではなく「哲学対話」をすることで、障がいのある人たちことをより深く知りたいということです。そういうアプローチは今まで聞いたことがないので、きっととんでもなく面白いものが出てくるのではないかと今からわくわくしています。

 ぷかぷかさんと「哲学対話」をするというのは、どこまでもフェアな関係での対話です。この姿勢がいいなと思います。相手が障がいのある人だと、対話も上から目線のものになりがちですが、「哲学対話」には相手に対する敬意が感じられます。相手ときちんと対話しよう、対話を通して一緒に真理を探っていこう、という姿勢です。

 特別支援教育は、障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「こういう問題を抱えている」、だからこういう教育が必要、といった発想ですが、「哲学対話」は全く違う発想でぷかぷかさんに迫ります。一人の人間として相手と向き合う姿勢がなければ「哲学対話」は成り立ちません。

 中身を掘り下げていく対話には、ただ漠然と対話するのではなく、それなりのテクニックというのか、対話が深まっていくような言葉が必要です。適当に話をしていたのでは、対話はいつまでたっても深まっていきません。どういう言葉を投げかければ対話が深まっていくのか、そのあたりのことをいつも考えながら対話をすすめていく必要があります。

 そういう意味で「哲学対話」の専門家である河野さんや、その門下生によるぷかぷかさんとの「哲学対話」には、ものすごく期待するものがあります。うまくすれば今までにない新しい「障害者観」が出てくるかも知れません。彼らと一緒に生きていくことの新しい価値みたいなものも見つかるかも知れません。

 

 「哲学対話」の相手をするぷかぷかさんは、アマノさん、ショーへーさん、ナカタクさん、セノーさんを一応考えています。みなさんなんともおもしろい話ができる方たちなので、深い哲学対話ができるのではないかと期待しています。

 ★とても貴重な機会なので映像の記録を撮りたいと思っています。どなたか手をあげていただけるとうれしいです。

子どもの将来を自分で作り出す

 ケヤキの木を相手にワークショップをやったとき、目の見えない子どもが参加しました。

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 目が見えなくても、みんなと同じように大きなケヤキの木にさわり、耳をあて、こうやって木の中を流れる水を描きました。

 この子どもの通っている盲学校の保護者がぷかぷかに見学に来ます。目の見えない人たちにとってぷかぷかに参考になることがあるのかどうか私はよくわからなかったのですが、問い合わせてきたお母さんはぷかぷかの大ファンのようで、お店に来るだけでなく、上の写真のようにワークショップに参加したりしています。とにかくぷかぷかのこの雰囲気を盲学校のお母さんたちに伝えたい、とおっしゃってました。

 子ども達の将来のことをみんな心配していて、いろんなところを見学しているようでした。いろいろ見学しても、子どもにぴったり合ったところなんてないし、だったら子どもと二人で働けるような仕事を自分で作りだした方がいいですよ、という話をしました。

 子どもの将来はどこかにあずけるものと考えていて、自分で作り出す、なんてことは全く考えもしなかったので、なんだか背中を押された気がしました、とすごく元気な声が帰ってきました。

 

 先日利用者さんの首に「私はうそつき」などと描いた札をぶら下げたひどい施設の話を書きましたが

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 選ぶ施設によって本人の人生が全くちがうものになってしまうという理不尽な現実があります。障がいのある子ども達は自分で人生を選ぶことがとてもむつかしいと思います。だったら親御さんが子どもと一緒にどういう人生を生きたいのかを考え、自分で一緒に働く場所を作ることはひとつの選択肢としてあってもいいような気がします。

彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。

 上から目線の関係が、どういうことを招くかよくわかる記事です。

mainichi.jp

 ひどいというか、恥ずかしいというか、よくこんなことをするな、ともうあきれてしまいます。上から目線の関係は、結局のところこんなふうに、もう相手に何やってもいいような錯覚に陥ってしまうのではないかと思います。

 相手に何やってもいいという錯覚は、相手を人として見られなくします。相手を人としてみられなくなるとき、自分もまた人でなくなります。つまり、相手に何やってもいいという感覚は、自分の中から人間を奪ってしまうのです。

 まっとうな人間であれば、人の首に「私はうそつき」などと書いたカードをぶら下げたりはしません。そのまっとうな人間がどうしてこの施設にはいなかったのか。それはこの施設だけの問題なのかどうか。そこを考えることこそ大事な気がします。

 

 ぷかぷかは障がいのある人たちとどこまでもフラットな関係を作っています。フラットな関係を築くことで、私たち自身が彼らの前に人として立つことができると考えています。

 ぷかぷかを立ち上げる前、横浜市空き店舗活性化事業に応募し、書類審査が通ったあと最後のプレゼンテーションでこの「彼らのおかげで私たちは人として立つことができる」と語っています。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。