ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

上映会やります。「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」

 11月14日(土)横浜ラポールでの上映会のチラシができました。すごく楽しいチラシです。

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  映画を見て、やまゆり園事件のことをみんなで話そうと思っているのですが、いつものことながら、チラシを見ると全くそういう感じがしません。つまり、やまゆり園事件の重いイメージではないですね。

 「いつも月夜に 米の飯 みんなでいっしょに こめまつり」

とか一番目立つところに書いてあって、どうしてこれがやまゆり園事件につながるの?なんて、考えるだけ野暮な感じ。これがぷかぷかなのです。

 

 昨年事件の遺族の方がぷかぷかに見えました。私はどういう言葉で話しかければいいのかわからず、「こんにちは」といったきり、後に続く言葉がなかなか出てきません。事件に関するブログを150本以上書きながら、事件で一番辛い思いをした遺族の方にかける言葉が出てこないのです。

 遺族の方を前に本当に困りました。その時周りにいたぷかぷかさんたちが

「あれ、どこから来たの?」「お名前はなんて言うの?」

と、いつもの調子で質問攻め。

「ぷかぷか、頑張ってます」

なんていう人もいました。

 そんなぷかぷからしい対応に、遺族の方はみるみる笑顔になり、いろんなお話を楽しそうにされていました。遺族の方を前に、半ば固まってしまった私は救われた思いでした。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」で食事された時、その日のメニューは唐揚げだったのですが、亡くなった娘さんの大好物だったそうで、娘さんと一緒に唐揚げを食べている気分でした、とお話しになっていました。一ヶ月後に誕生日を迎えるという話も聞き、それならぷかぷかで誕生会やりましょう、という話になりました。

 「ぷかぷかさんのお昼ご飯」は誕生日を迎える方のリクエストで誕生日メニューが決まります。ですからその日は唐揚げにすることになりました。お母さんひとりで食事するのは寂しいと思い、亡くなられた娘さんの写真見ながらぷかぷかさんが等身大の「分身くん」を段ボールで作り、隣に並んで食事してもらいました。帰りの会でささやかな誕生会をやりました。小さなステージに娘さんの分身くんに座ってもらい、みんなで「ハッピーバースデー」を歌いました。娘さんの好きだった音楽をガンガンかけ、みんなで思いっきりダンスをしました。誕生日カードもぷかぷかさんが描いてプレゼントしました。お母さん、本当に大喜びでした。

 

 遺族の方はそっとしておいた方がいい、とよく言われます。でもぷかぷかさんたちは違いました。そっとしておくどころか大歓迎し、誕生日会までやってしまったのです。お母さん、たくさんの元気をもらえたようでした。

 

 事件を超えるって、こういうことではないかと思います。事件で一番辛い思いをした遺族の方が元気になる。これはすごく大事なことです。今まで、多分誰もやっていなかったことです。それをぷかぷかさんが、何か特別なことではなく、いつもどおりの感じで、さらっとやってしまったのです。

 ぷかぷかさんといっしょに生きていく中にこそ、事件を超えていく鍵があるような気がしています。

 昨年の上映会に参加した方が、ぷかぷかさんもいっしょにいる上映会の賑やかな雰囲気の中で

「とがった心が丸くなる」

と感想を書いていましたが、一番のキーポイントを言い当ててる気がしました。

 事件を考える集まりで、お互いの考え方のちょっとした違いで、とても険悪な雰囲気になってうんざりしたことがあります。事件を考える集まりなのに、みんなの心はとがったままだったのだと思います。心がとがったままでは、事件を超える社会を作るとかいっても、なんだか寒々しい気がします。

 その心をゆるっとしてくれるのがぷかぷかさんです。とがった心を丸くしてくれるのです。11月14日の上映会にはぷかぷかさんもたくさん参加します。彼らのチカラを借りて、事件を超える社会がどうやったらできるのか考えたいと思うのです。

 

 

 

 

いかに一緒にくつろぐか

 やまゆり園事件で重傷を負った小野一矢さんがやまゆり園を出て地域で暮らし始めました。

mainichi.jp

 

その取材をしている毎日新聞の上東さんのFacebookにいい言葉がありました。

 

重度訪問介護ヘルパーの極意は「いかに一緒にくつろぐか」だそうです。

長い時間一緒に過ごす介助者の仕事。

「仕事というよりただ、いっしょに生きること」〔大坪さん)

素敵な関係だなぁ。

 

 「いかに一緒にくつろぐか」いい言葉だなと思いました。多分そういう感覚でいかないと、長い時間一緒に過ごす介護の仕事は辛くなると思います。ただ仕事だからでは、相手といい関係はできません。くつろぐ感覚があるから、この人といっしょにいよう、と思えます。そこから人としてのおつきあいが始まります。その気持ちは相手にも伝わります。だから、一矢さんも「かずやんち」の暮らしを楽しめるのだと思います。

 

 自分の写真で恥ずかしいのですが、『support』という知的障害福祉研究の本の表紙を飾ったことがあります。

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 まさにお互いがくつろいでいる写真です。「至福の時」です。こういう時が、彼らと過ごしているといっぱいあります。それを大事にするかどうかで、彼らとの関係が変わってくるのだと思います。(養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょにいると心安らぐ時間、くつろぐ時間がたくさんあって、こりゃぁもう彼らとはいっしょに生きなきゃソン!だと思いました。その時の思いがぷかぷか設立の思いにつながっています)
 
   福祉の現場の人たちが、みんなこんな感覚で仕事やりだしたら、この業界は介護する側もされる側もお互いがもっと居心地のいいものになるだろうな、という気がします。
 
 小野一矢さんがいたやまゆり園の人たちが、こういう感覚で働いていたら、やまゆり園はお互いにとって居心地のいいところになっていたと思います。そんなふうになっていれば、事件は起きませんでした。こういう感覚を排除してしまうものがやまゆり園にはあったのだろうと思います。それは何なのだろうと思います。 
 
 

猫の目

 アマノッチの描いた猫

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 何を思っているんだろう。

 いくつもの哀しみと、

 怒りと、

 悔しさを、

 数え切れないくらい経験し、

 それをもう通り越してしまったような目

 諦めてはいるわけではない。

 ただそこにうずくまって

 こうやって 深い目で

 世界を、じっと見つめている。

 押し殺した思いが、静かに渦巻いている。

 

 こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。

 でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。

 それに私たちが気がつかないだけ。

 だから、上から目線で彼らを見る。

 彼らを見下す。

 でも、この目に気がつくと、それはとても恥ずかしい話だ。

 

mainichi.jp

 

 虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。

 あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。

 恥ずかしくないのか。

 

 

 謙虚にこの目と向き合いたいと思う。

 この目を見つめていると、

 自分の生き方を問われている気がする。

 この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

いったい何が違うのでしょう

 げんなりするような事件

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 これが、障がいのある人たちを排除する文化です。障がいのある人たちを「邪魔だ」などといって排除する社会がどうなっていくのか想像した方がいいです。

 

 ぷかぷかの近くの創英大学の保育科で昨年ぷかぷかさんも参加する形で6回ほど授業をやりました。『Secret of Pukapuka』の上映、ぷかぷかさんと一緒に「すごろくワークショップ」「演劇ワークショップ」「詩を作るワークショップ」などです。

www.pukapuka.or.jp

 ぷかぷかへ2日ほど実習にも来ました。クリスマス会をやったり、文化祭で一緒に大きな絵を描いたりもしました。

www.pukapuka.or.jp


 こういうおつきあいがあって、保育科の卒業生40名のうち8名ほどが障がいのある人たちの施設に就職したそうです。ぷかぷかさんたちとの楽しい出会いがあっての進路の選択だったと思います。

 

 障がいのある人たちを前に「邪魔だ」という大人と、わくわくしながら障がいのある人たちとのおつきあいを選んだ学生さんと、いったい何が違うのでしょう。

 

 こんな人たちを「邪魔だ」と排除するなんて、もったいないです。

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「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 11月14日(土)のやまゆり園事件を考える上映会で第6期演劇ワークショップの記録映画を上映します。やまゆり園事件を考える上映会で、どうして演劇ワークショップの映画なのか。

 事件を考える上映会は、映画を手がかりに、事件を超える社会をどうやって作るかを考えます。あーだこーだ言い合って終わるのではなく、具体的に私たちに何ができるのかを考えます。

 「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」。事件から発信されたメッセージに、多くの人は「そんなのおかしい」と思いながらも、それを否定しきれない自分がいて、そこをどうやって超えていけるのか悩んだのだと思います。

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というところから出発したので、事件後も、いない方がいいと言われた障がいのある人たちと「いた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」と思える関係を作り、彼らと一緒に「いい一日だったね」ってお互い言い合える日々を積み重ねてきました。

     だから、別れの時はお互い涙が…

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 不幸しか生まないと言われた障がいのある人たちが幸せを生み出しているという事実も作ってきました。

     こんな絵を見るとみんながハッピーな気持ちになります。

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 そして演劇ワークショップは彼らといっしょに生きると何が生まれるかを明確に表現します。今までにない新しい文化と言っていいほどのものを生み出します。障がいのある人たちを排除する文化に対して、彼らを排除しない文化です。彼らのことを大事な存在だと思う文化です。

 

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  ぷかぷかさんたちと一緒に芝居作りをすると、彼らにこの場にいて欲しい、彼らがこの場に必要、としみじみ思えてきます。演劇ワークショップはそういう関係を自然に作ってくれます。そういう関係の中で作り上げた芝居は「彼らはいた方がいい!」ということがダイナミックに伝わってきます。

 ここで見えてくるものこそ、事件を超える社会です。

 

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 そんな映画を見て、事件を超える社会をどうやって作るかをみんなで考えたいと思うのです。

 

  



    

 

そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか

 毎日新聞の素晴らしい取り組み。

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素晴らしい取り組みなのですが、最後に書かれていたテーマを見ると、ここからこぼれ落ちるものがたくさんある気がしました。

(1)判決で犯行動機は「勤務経験を基礎として」

(2)支援の実態、そして虐待の疑いが浮上/職員の思いと報告書

(3)やまゆり園の設置者の責任は/黒岩祐治神奈川県知事インタビュー

(4)やむを得ない拘束だったのか?/居室施錠の実態

(5)身体拘束をしない支援はできるのか/居室施錠の実態

(6)各地で頓挫する県立コロニーの解体/地域移行の課題

(7)施設を出て、地域で暮らす/地域移行の課題

(8)真相は闇の中/認定難しい施設内虐待

(9)問われぬ支援の質/障害がある人の施設での暮らし

 

 ひとつひとつ大事なテーマだと思いますが、障がいのある人との関わりもなく、事件にそれほど関心のないふつうの人にとってはどうなんだろう、という感じがします。隣に住んでいるおばあさんとか、仕事に追われているおじさんとか、子育てにいそがしいお母さんとかにとって、ここであげられているテーマは、自分との関係性がなかなか見いだせない感じがします。

 といってそういう人たちが事件と全く関係ないのかといえば、そうではない気がします。

 

 事件の際、犯人の語った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、とぷかぷかを訪ねてきた人がいました。

 事件のあった年の11月、NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」といった話をしたところ、そんなことをいう人がいるんだ、と信じがたいような思いで私に会いに来た人がいました。その人は犯人のいった言葉を否定しきれない自分がいて、悶々としていたところへ「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」などという言葉がラジオから流れてきて、びっくりしたといいます。

 でもぷかぷかに来たことがきっかけで、パン屋で一日実習し、それに続いて演劇ワークショップにも参加。舞台にもぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。

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 そんな経験の中でいろいろ思うことがあったのか、そのあと、彼は放課後ディサービスで仕事を始め、重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない、といってきました。「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいると悶々としていた人が、今、「重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない」というのです。彼をそこまで変えたのはぷかぷかさんたちとのおつきあいです。ぷかぷかさんたちのチカラをあらためて思うのです。(彼のことはその後NHKスペシャルで事件を取り上げた時に紹介してくれました)

 

 いずれにしても、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、と感じた人は多かったのではないかと思います。

  事件に関する取材でぷかぷかに来た記者で、やっぱり自分の中にも事件の犯人的な発想があって、そこからなかなか抜け出せない、と正直に語った方もいました。

 普段障がいのある人たちに関わりのない人たちのふつうの感覚だろうと思います。上に上げたテーマをいくらきっちり書いても、犯人的な発想からなかなか抜け出せないと悩んでいる人にとっては、ほとんど意味がありません。

 そういう人に届く言葉こそ、丁寧に書いて欲しいと思うのです。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉から抜け出すにはどうしたらいいのか。

 

 事件直後、ネット上には「よくやった」などという言葉が飛び交いました。あの悲惨極まる事件に対し、「よくやった」などという社会は怖いです。事件後、街に出るのが怖くなったという障がいのある人たちはたくさんいました。

 その社会は、事件から4年たった今も全く変わっていません。

 そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか、この社会の中で何をすればいいのか、といったことこそ今求められている気がします。

 

 11月14日(土) ぷかぷかは、そんなことをみんなで語りたくて上映会をやります。

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これは「詩」ですね。

 実習生の、この感想、「きりんのえをかきました」「かにのえもかきました」…って書いただけなのに、なぜか人の心をあたたかいもので満たしてくれます。

 簡単な言葉なのに、どうしてこんなにキュンと幸せな気持ちになるのでしょう。

 人の心を揺り動かす、これは「詩」ですね。

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 こういう言葉にふれることで、私たちは人間を取り戻すことができます。人間のあたたかさを思い出すことができます。

 ともすれば人間であることを忘れてしまうような日々の中で、彼らは私たちを人間に引き戻してくれているのだと思います。

 

 

 かながわ共同会が運営する施設で、また虐待があったといいます。彼らが人間を取り戻すのは、いったいいつなんだろうと思います。目の前にいる人たちの書く「詩」に気がついて欲しいと思うのです。

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