ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

彼らの方がはるかに豊かな未来を作ってくれる

 昨日Eテレで放送された『Foorin楽団ドキュメント』はすごくおもしろかったです。 

 Foorinのメンバーが障がいや病気のある子どもたちといっしょにFoorin楽団を結成するまでのメイキングドキュメンタリー。

 みんな障がいのある人たちとお付き合いしたことがなかったので、どう付き合っていいのかよくわからなくて、はじめは戸惑ったり、会話が途切れたりで、いろいろ苦労します。相手は目の見えない人、ろうあの人、自閉症の人、脳性麻痺の人、小児がんの人などで、とにかく手探りで付き合い方を探します。

 でもだんだん慣れてきて、手話で表現する世界の豊かさにふれたり、自閉症の子どもの発想の面白さに気がついたり、聞いてて涙が出そうになるほどの小児がんの話を笑顔で語る子どもの明るさに励まされたり、それまで知らなかった世界が見えてきて、お付き合いすることがだんだん楽しくなってきます。障がいや病気を持っている子どもの側も、今までお付き合いのなかった子どもとの出会いが楽しくて楽しくて仕方がないという感じ。

  子どもたちは偏見や思い込みがないので、お互いのこと、楽しい!って思うと、もう、どんどん友達になっていきます。楽しい!っていう気持ちがはち切れそうなくらい。大人にはこういった自由さがないので、ちょっとうらやましいほどでした。

 そうやってお付き合いが深まったところでミュージックビデオができあがります。すぐ下の写真の一番手前の子どもは入退院を繰り返している小児がんの子ども。見ているこっちまで楽しくなります。

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 子どもたちのはじけるようなエネルギーがまぶしくて、涙が止まりませんでした。このエネルギーは、お付き合いする楽しさから生まれています。障がいのある子どもたちとお付き合いすることで広がった世界が楽しくて仕方がない、という楽しさ。あるいは普通の子どもたちとお付き合いすることで広がった世界が楽しくて仕方がないという障がいのある子どもたち。双方の楽しさがシンクロして爆発したような映像でした。

 

 先日川崎で地域の普通学級へ行きたいという人工呼吸器をつけた子どもの願いを裁判所は押しつぶしました。裁判官は、子どもたちのこんなはじけるように楽しんでいる子どもたちの姿を知らなかったのだと思います。教育委員会の人たちも。

 裁判の関係者の方で録画した人がいれば、ぜひ裁判官、教育委員会の人たちに見せてほしいと思います。人工呼吸器をつけた子どもの願いは、裁判上のかたい言葉のやりとりよりも『Foorin楽団ドキュメント』の方がはるかによく伝えると思います。

 

 障害者は犯罪を犯す、と障がいのある人たちのグループホーム建設に反対を叫んでいた人たちにもぜひ見せたいですね。障がいのある人たちとお付き合いすると、双方の心がこんなにも豊かになるんですよ、心豊かになった子どもたちが地域の未来を作っていくんですよって。

 障害者は犯罪を犯す、とかたくなに思い込み、障害者を地域から排除している大人たちは、一体どんな未来を作るのでしょう。あるいは、障がいのある子どもと普通の子どもは分けた方がいい、とかたくなに思い込んでいる教育委員会の大人たちは。

 障がいのある子どもたちとお付き合いした子どもたち、普通の子どもたちとお付き合いした障がいのある子どもたち、彼らの方がはるかに豊かな未来を作ってくれる気がします。

 

 

 障がいのある子どもたちと一緒に作っていく、というところがミソです。彼らとのフラットな関係性が未来を作るのです。

 ぷかぷかでは、ぷかぷかさんたちが新しい未来をどんどん切り開いている気がします。

 「あ、これ、《大根》じゃなくて《たいこん》なのね」

って、やさしく受け止めてくれるような関係は、ギスギスした社会をほっとしたものに変えてくれます。そういう関係を作ってくれたのはぷかぷかさんの書いたこの字です。

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 ですから、彼らこそが新しい未来を切り開いていると思うのです。


 

私たちが社会を動かしていく

浅川素子さんの渾身のメッセージです。

ameblo.jp

 

 相模原障害者殺傷事件のあと「共に生きる社会かながわ憲章」ができたとき、すごく胡散臭いものを感じましたが、川崎での裁判の結果は、それを証明したようなものでしたね。

 といって、それを批判していても社会はいい方向に動きません。私たちが社会を動かしていくしかないと思っています。ぷかぷかはあの手この手で社会を耕しています。浅川さんも「うちのぷかぷかさん」の、そらくん、たからくんと一緒に社会を耕しています。あなたもぜひ一緒に耕しましょう。

 そらくん、たからくんの感動的に楽しいお風呂。私はこの写真が大好きです。この写真見るたびに、お母さん、いい人生生きてきたんだなぁって思います。

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 彼らと一緒に生きていくと、こんな楽しいことがいっぱいあります。もちろん大変なことも。人生の幅がぐ〜んと広がって、一緒に生きていった方が絶対トク!です。

 彼らとのいい出会いの機会を作れば、そう思ってくれる人が絶対出てきます。

 

 明日の9時半からのEテレ、ぜひ見てください。

sports.nhk.or.jp

彼らがいることの幸せ感

  相模原障害者殺傷事件の裁判と人工呼吸器をつけた子どもが希望する地元小学校への入学を認めるよう求めた裁判の二つを通して、日本のインクルーシブの現状を語った記事。

digital.asahi.com

 記事の最後に「二つの判決をきっかけに、個々の現場で解決への議論を深めてほしい。」とあるのですが、インクルーシブの現状を嘆くような議論ではなく、その現状を変えるにはどうしたらいいのか、という具体的な提案を含む前向きの議論がほしいですね。

 「障がいのある人たちを排除しない関係」「障がいのある人たちと一緒に生きていった方がいいねって思える関係」をどうやって作っていくのか、という具体的な戦略を練る議論。よくある「ふれあいフェスティバル」といったイベントの時だけちょっと付き合うような関係ではなく、日々の暮らしの中で続く関係をどうやって作っていくのか、という本気の議論、提案こそが必要だと思います。

 

 ぷかぷかのお店は、街の人たちに障がいのある人たちといい出会いをしてほしいと思って作りました。日々の暮らしの中での出会いです。

 パン屋の店先にはずっとおしゃべりの止まらない方がいて、初めて来た方はたいていびっくりします。ところがパンをトレーに乗せてレジのところへ行くと、そのおしゃべり青年がレジの計算よりも何倍も速く計算し、2度びっくり。おしゃべりもよ〜く聞いてみると、自分の知らない外国の都市の名前がいっぱい出てきて、またまたびっくりです。

 厨房からいきなり飛び出してきた青年が、「兄弟いますか?」「お兄さんですか?おねえさんですか?」「お父さんはネクタイしていますか?」「何色ですか?」と機関銃のように次々に質問を浴びせかけることもあります。「え?この人何?」と、戸惑いながらも、妙に楽しい気持ちになったりします。

 一見、めちゃくちゃな感じですが、妙にほっとするお店になっています。ぷかぷかさんたちがお店にいることの意味を、何度か来るうちに自然に納得します。

 

 時々畑でとれた野菜も売ってたりします。

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 「この大根ください」というと「あの、これは《だいこん》ではなくで《たいこん》なんですが、よろしいですか」なんていわれたりします。

 「ああ、《たいこん》でしたか、じゃ、それください」

と、笑いながらお客さんが言ったりします。

 「これ《大根》じゃないの」ではなく、「ああ《たいこん》ね」とやさしく受け止められる感覚が、ぷかぷかのお店に来ていると自然に身につきます。

 彼らと一緒に生きていく楽しさが、自然にわかってきます。

 

 こんな字や

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こんな絵に

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 いっぱい出会います。

 心がほっこりあたたかくなります。

 このあたたかさは、彼らがいることの幸せ感。

 

 この幸せ感が、たくさんの物語を作りました。それをまとめたのが『ぷかぷかな物語』。彼らと出会うことで生まれた物語です。彼らが社会を耕し、豊かにしていることがよくわかります。ぜひ読んでみてください。

shop.pukapuka.or.jp

 アマゾンのカスタマーレビューがいいです。

www.amazon.co.jp

 

 ぷかぷかさんたちと一緒に生きる時間の豊かさをビジュアルに表現した『Pukapukaな時間』もおすすめです。Vol.1、2、3の三冊出ています。見ただけで、ああ、一緒に生きるっていいな、って思えます。

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 「インクルーシブ社会を作ろう」「共に生きる社会を作ろう」というだけでは社会は変わりません。やはり本気でそういった社会を作っていく戦略を練ることが大事だと思います。

 といいつつ、ぷかぷかはそれほどきちんとした戦略の上で活動してきたわけではありません。ほとんど思いつきでやってきたことが多いのですが、結果的には「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさんでき、地域社会が本当に変わってきたわけですから、戦略的にはうまくいったと思っています。6年前、「表現の市場」をやったときには、300人入る会場の半分もお客さんが入りませんでした。ところが今年の「表現の市場」はなんと会場に入りきれなくてロビーのモニターを見た、という人まで現れました。

 最初に紹介した朝日新聞に載っている日本のインクルーシブの現状と全く違う現状がここにはあります。

 どうしてそんなことが起こったのか。これは調べてみる価値があります。あなたの街をインクルーシブな街にする手がかりが見つかります。

 どうやって調べるか。まずはぷかぷかのホームページを見る。

www.pukapuka.or.jp

 先ほど紹介した『ぷかぷかな物語』『Pukapukaな時間1,2,3』を読んでみる。

 一番いいのはぷかぷかのお店に来ることです。空気感が違います。ぷかぷかの空気感の中で深呼吸すれば、「ああ、これか!」って納得できます。

 納得したら、すぐにあなたの街をインクルーシブな街にするための戦略を練り、実行に移しましょう。とにかく前へ、前へと動くこと。これが一番大事です。

 

 

 

 

奥田知志さんの言葉

 奥田知志さんの言葉です。とても大事なことを言っています。これを私たちはどう受け止めるか。ただ、いいこと言ってる、と聞き流すのではなく、奥田さんの提起している問いに具体的に答えていくことが大事だと思います。社会全般がどうとかではなく、私はどう考えるの?どうするの?何を作り出すの?というところをきちんとやっていくことが、事件を超える社会を作っていくのだと思います。

www.youtube.com

 

 生産性ではなく、いのちがあること自体の価値を認めていくことは、ぷかぷかはかなりのことをやってきたように思っています。ぷかぷかさんがいること、そのことに価値があること、そしてその価値が社会を豊かにしていること、それをお店を運営する中で、あるいは様々な活動で日々発信し、たくさんの人が共感し、たくさんのファンができました。

 

 この人がいることに価値がある。

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 彼は働かない、生産性がないということで、元いた作業所で居場所を失い、ぷかぷかに来ました。生産性がない、と彼を排除してしまった作業所の価値観は、やまゆり園事件の植松被告の価値観と同じです。

 でも、彼は寝顔が魅力的で、ぷかぷかでは居眠りしながらたくさんのファンを作ってきました。彼がそこにいること、そのことの価値でファンを作り、売り上げを伸ばし、社会を耕してきたのです。

 

  彼らがいて、自由に作品を作るから、こんなにおもしろいものができあがります。作品は、彼らがいることの意味を如実に語っています。

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 こんな作品は社会を豊かにします。彼らは社会に必要なのです。

 

 

 

つながるいのち

 今朝の朝日新聞にやまゆり園事件についての柳田邦夫さんの話が載っていました。裁判官は、遺族の「いのちのみなぎる言葉」に向き合ってなかった、という指摘を柳田さんはしているのですが、その記事の中で『つながるいのち』という言葉がとてもいいと思いました。

                               

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 《 犠牲者一人一人には、家族や近親者、親友、ケアスタッフら、大切に思い、支えてくれる人がいた。その関係性は、支える人にとっても生きがいや愛情、人生の証となり、自らの生の一部になっていた。「人はつながることで生きる意味を見いだせる。『つながるいのち』という視点が重要だ」》

《 この事件は、犠牲者のいのちだけでなく、人生を共有していた親子や兄弟の『つながるいのち』を断ち、残された人の未来まで抹殺したという重大さがあるのだという。》

 

 「人はつながることで生きる意味を見いだせる。」すごくいい言葉ですね。

  ぷかぷかは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けていますが、一緒に生きる、人としてつながる、そのことで彼らが生きている意味、一緒に生きる意味がわかり、私たちの社会は豊かになります。

 ぷかぷかは彼らを支援しているのではなく、彼らに支えられています。彼らがいること、彼らのいのちがそこにあること、そのことがぷかぷかを支え、ぷかぷかのファンの人たちを支えています。まさに『つながるいのち』です。

 下の写真は『つながるいのちの木』です。

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 いのちを生物学的な面だけではなく、『つながるいのち』という視点で事件を論ずるべきだった、と裁判官を批判していました。そうしないと遺族の悲痛な訴えに答えられない、と。

 この『つながるいのち』でいえば、やまゆり園こそ、『つながるいのち』を感じられない現場だったのではないかと思います。植松被告がそういうものを感じながら仕事をしていれば事件は起こらなかったと思います。目の前の障がいのある人と、人として全くつながっていなかった、ということです。

 障がいのある人と、人としてつながる、ということを日々の活動の中でやってこなかったやまゆり園の事件への責任はどうなるのでしょうか?そこの責任をきちんと追及しない限り、事件の温床は残されたままです。

 

 

 

作品は、彼らが作り出す新しい価値そのもの。

 以前市会議員の方がぷかぷかに見学に見え、アート屋わんどに展示されているぷかぷかさんの作品を見ながらこんなことを言いました。

「いい作品ですね。指導が大変だったでしょう」

と。それに対し、

「いえ、指導なんかしていません。指導すると、こんなに素晴らしい作品はできません」

といいました。

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 ぷかぷかさんの作品は、作品を通してのぷかぷかさんとの新しい出会いであり、ぷかぷかさんたちが作り出す新しい価値そのものです。今までにない新しい価値は社会を豊かにします。

  下の作品は、彼らの文字がそのまま味のある作品になる、ということがよくわかります。これが彼らが作り出す新しい価値です。私たちが書いても、こんな価値ある作品になりません。そんな私たちが指導なんか入れたら作品が台無しです。

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 ところが、アートをやっている福祉事業所で、作品には必ずスタッフがこうした方がいい、ああした方がいい、と指導を入れるところがあるそうです。そうしないと売り物にならない、と考えているそうです。

 彼らの作品に対する考え方が、ぷかぷかとはまるっきり違うみたいですね。というか、メンバーさんとスタッフの関係そのものが違うのだろうと思います。

 ぷかぷかでは「一緒に生きていく関係」です。それは、作品も含め、相手のそのままがいい、と思う関係です。

 指導を入れるところは「支援する関係」です。支援する関係は、相手のそのままを認めない関係です。支援をしないと一人前ではない、そのままでは価値がない、と考えています。だから指導を入れる。

 それがいいかどうかはお客さんが決めます。ぷかぷかで指導を入れたりしたら、ぷかぷかのファンは、多分、もう来なくなります。ぷかぷかのファンは、彼らの作品が好きなのです。

 指導を入れているところでも作品の売り上げは落ちているそうです。なぜ落ちているかの評価をどういう風にしているのか知りませんが、多分指導が足りないからだ、という風に受け止めているのではないかと思います。

 一番困るのは、思うように表現できないメンバーさんです。思うように表現できないと、創作意欲がなくなっていきます。作品がどんどんだめになっていきます。さらに売れなくなる、という負のスパイラルになります。

 なんかね、もったいないですね。よかれと思って支援をしていると思うのですが、支援をすることで、作品をだめにしているとしたら、すごくもったいないです。社会の財産、といっていいものがなくなっていくわけですから。

 

 

 

障害のある子どもが生まれたとき、「おめでとう」って言える社会

 木村議員のインタビュー記事。

digital.asahi.com

 木村さんが望むのは

《 障害のある子どもが生まれたとき、「おめでとう」と言える社会 》

だといいます。記事の最後に

《 福祉サービスは増えましたが、重度訪問介護が就労中などに公的負担の対象外だったり、移動支援が自治体により差があったり。普通学校への入学が重度障害を理由に認められない例もある。こうした課題をみんなで解決できたとき、障害のある子が生まれて「おめでとう」と言える社会になる。

とありましたが、つい先日も、重度障害児の普通学級への入学を求めた裁判で、それを認めない判決が出たりして、

www.kanaloco.jp

 「共に生きる社会かながわ憲章」を定めている神奈川県でこんな判決が出されるくらいですから、障がいのある子どもが生まれて「おめでとう」と言える社会になるには、まだまだ気の遠くなるほど遠いなと思ってしまいます。

 

 障がいのある子どもが生まれて「おめでとう」といえる社会は、制度的な問題の解決よりも、個別の小さな幸せ感が社会に広がる方が実現性がある気がします。

 障がいのある人たちと一緒にいることの幸せ感です。

  ぷかぷかは設立当初から「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続け、彼らと一緒に生きていく幸せ感を周りにばらまいてきました。

 その成果があってか、先日ブログでも紹介しましたが、知り合いの方が妊娠し、検診の時に、障がいのある子どもが生まれる可能性がありますが、どうしますか?と聞かれ、迷いなく生む選択をしたそうですが、その理由の一つにぷかぷかさんとの出会いがあった、といいます。ぷかぷかさんたちの豊かな暮らしぶり、楽しい毎日を見ていたから、迷いはなかった、と。

 ぷかぷかに何度か遊びに来たり、自分の受け持っている大学の授業で、ぷかぷかさんとのワークショップをやったりしました。そんな経験の中で、彼らと一緒に生きる幸せ感をしっかり感じ取っていたのだと思います。

 そのリアルな幸せ感が、迷いなく生む選択の後押しをしたのだと思います。ぷかぷかさんたちがいることの意味、ぷかぷかさんたちがいることで生まれるチカラを改めて思います。

 

 彼女の周りの人たちもぷかぷかさんたちのこと知っていれば、障がいのある子どもが生まれても、みんなで

「おめでとう!」

っていえると思います。そういった関係がもっともっと広がっていけば、社会全体が「おめでとう!」っていえるようになるのだと思います。

 

 「障がいのある子どものいる生活もいいもんだよ」

 「ドタバタだけど、すっごく楽しいよ」

 「毎日が新発見!」

っていう楽しいメッセージをもっともっと関係者は発信した方がいいと思います。

 重度障害児のhanaちゃんのファンをFacebookでたくさん作った花岡知恵さん、二人の重度障害児を「うちのぷかぷかさん」楽しそうにいい、地域でたくさんのファンを作った浅川素子さんたちは新しい歴史を作っています。彼女たちの試みこそが、障がいのある子どもが生まれたとき、「おめでとう!」って言える社会を作るのだと思います。

 下の写真は浅川さんの子どもがまだ小さかった頃のお風呂場。ボディシャンプー1本を全部使って、こんなに楽しい泡風呂にしたそうです。親が、こういったことを子どもと一緒に楽しめるかどうかですね。私なんかは「ひゃ〜、楽しそう!」って、一緒に泡風呂に入りたいくらいでした。

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