ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

彼らに、私たち救われてるのかも

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」と言い続け、そのことを実感できる関係を様々な形で作って来ました。そのおかげでぷかぷかのまわりは、障がいのある人はいて当たり前であり、むしろいた方がいいと思う人がたくさんいます。彼らとの関係も、上から目線で何かやってあげるとか支援するとかではなく、どこまでも「一緒に生きていくといいよね」「一緒にいると心ぷかぷかだよね」という関係です。

 

 ところが周りを見渡すと、全く違う関係が広がっています。すぐ近くで障がいのある人たちのグループホーム反対の声が上がったことがあります。

「障害者は犯罪を犯す。だから彼らのグループホームができるととても不安。地域社会の治安が悪くなる」

といった声です。障がいのある人たちとおつきあいしている人であれば、こんなふうには思いません。相手を知らないということが、ここまでひどい偏見、思い込みを生むのだと思いました。でもその偏見、思い込みが、場合によってはグループホーム建設の計画をつぶすほどの力を持つこともあります。

 

 どうしてこういったことが起こるのか。それは小さな時から障がいのある人たちと健常といわれる人たちが分けられていることが大きな原因だと思います。障がいのある人たちのことを知る機会がほとんどないのです。

 障がいのある子ども達はたいてい特別支援学校、特別支援級に振り分けられ、よほど希望しないと普通級には行けません。時々健常児との交流が行われたりはしますが、日々の暮らしの中でのふつうのおつきあいはほとんどありません。

 いろんな人とおつきあいをする中で人間は豊かになっていきます。一番人間ができていく子どもの頃に障がいのある子ども達とおつきあいする機会がない、というのは人間形成の上ですごくもったいないと思います。いろんなことができなくても、その子のそばにいると、なぜかあたたかな気持ちになれること。これはどうしてなんだろうって考えることは、子どもを豊かにします。子ども達がいずれ社会を担うことを考えれば、これは社会的な損失といってもいいくらいです。

 学校を卒業してからも、一般就労して社会に出られるのは、ごく一部のいろいろ仕事のできる人たちです。障がいのある人たちの多くは、生活支援とか就労支援、地域作業所、特例子会社など、福祉の世界に入り、やはり健常といわれる人たちと交わる機会はほとんどありません。

 

 同じ社会にいながら、障がいのある人たちとおつきあいする機会がない、というのは、すごくもったいない話だと思います。障がいのある人たちのことを知れば、その分人間の幅が広がり、社会が豊かになります。いろんな人がいること、そしてお互いおつきあいすること、それが社会の豊かさです。いろんな人がいても、それが分けられた状態では、豊かさは生まれません。

 先に紹介した障がいのある人たちのグループホーム建設反対の声は、障がいのある人達を地域社会から排除します。「知らない」ということが力を持つと、知らない人たちを排除してしまうことになるのです。これは双方にとって、とても不幸なことです。

 グループホーム建設反対の声でなくても、障がいのある人たちのことを知らないと、「障害者はなんとなくいや」「こわい」「近寄りたくない」「社会のお荷物」「生産性が落ちる」などと思ってしまい、様々な形で彼らを私たちのまわりの社会から排除してしまいます。 

 誰かを排除すると、その分、社会の幅が狭くなり、お互い窮屈な社会になります。

 私が私らしくある、という当たり前のことが、とてもやりにくくなり、息苦しい社会になります。社会の許容量が狭くなると、社会はだんだんやせこけてきます。

 

 ぷかぷかに来るとホッとする、というお客さんが多いのは、そういった社会を反映しているのだと思います。

 ぷかぷかは就労支援の事業所です。一般企業で働けない障がいのある人たちの働く場です。そういう意味では、障がいのある人たちと健常者を分ける仕組みの一つになっています。 

 でも、お客さんはぷかぷかに来るとホッとする、といいます。どうしてなのでしょう。

 それは多分、ぷかぷかさん達がありのままの自分を出して働いているからだと思います。ぷかぷかでは、彼らは社会にあわせるために自分を押し殺してしまうのではなく、ありのままの自分で働いています。ああしなければいけない、こうしなければだめ、といった「社会の規範」に縛られることなく、それぞれの自分らしさを存分に出して働いています。

 そのことがぷかぷかの自由な空気感を生み出しています。その空気感の中で、お客さんはホッとした気分を味わうのだと思います。私が私らしくあることの大切さを、ぷかぷかの自由な空気感の中で思い出すのだと思います。

 ホッとした気分の中で、ぷかぷかさん達、つまりは、障がいのある人たちはやっぱり社会にいた方がいいよねって、お客さんたちは多分、思います。

「彼らに、私たち救われてるのかも」

とひょっとしたら思います。

 こんなふうにしてぷかぷかは、障がいのある人たちと健常者と分けられた社会を耕し、

「一緒に生きていくといいよね」

ってみんなが思える社会を作っています。誰にとっても居心地のいい社会です。 

 

 ぷかぷかさん達は日々の仕事(パン屋の仕事、お惣菜屋の仕事、アートの仕事、食堂の仕事、畑の仕事)をしながら、社会を耕し、社会を豊かにする、というすばらしい仕事もしているのです。

 

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お昼ごはん ももちゃんと、セノーさんに囲まれて、 なんだか、(初対面なのに)リラックスしました

 養護学校の教員をやっている方が参加しました。養護学校の教員がワークショップに関心を持って参加するのはひょっとしたら初めてかも。こういうおもしろい試みにこそ関心を持って欲しいと思っているのですが、養護学校のみなさん、何考えてるのですかね。

 

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演劇ワークショップ、たのしかったです!
普段受けるワークショップより、早めに、自分を出していけた気がします。


歌もすてきでした。
実は、今回のワークショップについて、ほとんど情報を得ていっていなかったので、
(最近、まとめて高崎さんのブログを拝見したのですが、
 なぜか、今回の演劇ワークショップについてのものは、拝見し落としていました。)
「わっっ!!こんな歌なんだ!!」
と、曲と、歌詞で思いました。
(曲もすてきでした。)


「なんでもいいから 一番になれ」


の繰り返しでは、初めて歌う時から、ちょっと泣きそうになりました。
3つ目の高音から入るところぐらいです。
「つらいなぁ~。」「(そんなこと、いわんといてぇ~なぁぁ~。)」


と、自分の体から、すなおに出てきました。
(きっと染み付いているし、いたんだな、と思いました。)


「癒し力、一番。」


っていうのも、あるな。


と、思って、その場は少し明るい気持ちになっていたのですが、


やはり、「一番」という競争に、頭の先までどっぷり漬かっているのかな(思考が)。
とも、思ったりしました。


☆☆☆☆☆☆


午後のワークッショップの様子を、ブログで拝見して、
「あ~。残念だったなぁ~。」「たのしそうだなぁ~。」
と、思いましたが、
お昼ご飯休みも、わたしにとって、たのしい時間でした。


郁ちゃんと、あずみさん(だったように思うのですが…名前が覚えられていなくて、すみません。)、
ももちゃんと、セノーさんに囲まれて、
なんだか、(初対面なのに)リラックスしまし。


ブログで、知っている方だということもあると思いますが、
「あ~。別にそこにいていいよ~。」「何もしなくても~。」
というような雰囲気をうけて、わたしは楽でした。


如何に、いつも「何をしなくちゃいけないか。」「何をするべきか?」を考えているか、だ。と思いました。


特に、職場にいる間は。


障害のある子どもに対しても、学校では、
「(この子に対して)今、何をするべきか?」
「(この子に、)何をさせるべきか。」
を考えているな、と、思いました。


それは、今回のワークショップの場で、
ぷかぷかさん達と触れ合えたから、特に感じたことだと思います。
(社会に出ている(そして自然体な)障害のある方ということ、学校という場ではなかったということ。)
(「自然体な」というところも大事だと思います。)


学校でも、できるだけ「たのしく過ごそう!」としているのですが、
『教育』せなあかん、というのがあって、
どれくらまで『教育』させていただくのか、
どのくらい子どもに「がんばって」いただくのか、


最近、悩むところです。


今、中3の知的障害部門の担任なのですが、
2年がかりで、自分の名前が書けるようになってきた子どもや、
最近、ひらがな、カタカナ、漢字が読めるようになった子どもなんかがいて、


どれくらい「がんばって」「勉強していただくか。」は、時々悩みます。
(できるだけ、たのしく勉強しよう!とは、していますが。)


★★★★★


やはり、ぷかぷかさんたちと触れ合うことによって、感じたことは多かったです。


来月もたのしみです。


作品も、どのようになっていくか、


わたしも、なにを感じていくか。。。


たのしみです。

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 養護学校とぷかぷかとの落差で、いろいろ思うことがあったようですね。これからどんな風に変わっていくのか楽しみです。

何が豊かになるのか、自分で確かめてみたいと思った

 演劇ワークショップに栃木県から新幹線に乗ってやって来るすごい親子がいます。その親子が、ワークショップに参加した感想を書いてくれました。

 

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 まず、僕がぷかぷかさんのことを知ったきっかけは昨年、ぷかぷかパン屋さんの新聞記事を読んだことからでした。「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」というメッセージは僕の心に深く突き刺さりました。今まで自分の周りには障がいのある方がいないので、どう接すればよいのかわからず、街でぶつぶつ言っている人とすれ違うと“なんか怖い”と思ってきました。

 

 中学2年生のとき、知的障碍者施設のお祭りのボランティアを募集していて母から誘われたことがきっかけで、毎年ボランティアに参加するようになりました。障がい者の方に対しての怖いとかコミュニケーションが取れないとかといった感情はなくなりましたが、僕の心の奥底にある何かよくわからない、もやもやした「見えない壁」が崩れることはありませんでした。

 だから、新聞記事の「障がい者と一緒に生きると豊かになる」ということが理解できず、言葉は悪いですがきれいごとなのではないかと思い、そのことについて母ともよく意見交換をしてきました。

 

 この春高校生になり、社会福祉部に入部しました。ドナルド・マクドナルド・ハウスや図書館、高齢者施設など今までに経験したことのないボランティア活動にも取り組むことができるようになりました。そして、ずっと気になっていた“一緒に生きると豊かになる”ということも、本当にそうなのか、何が豊かになるのか、自分で確かめてみたいと思ったのです。

 

 しかし、実際に参加してみると僕の中の「見えない壁」がわさわさと立ちはだかって、気持ちがついていけずものすごく戸惑いました。でも、帰りの足取りは、なんだかとても軽く感じられ、もう少し取り組んでみようかなと心に決めました。

 

 次回の目標はぷかぷかさんのメンバーと一人でも多く話をすることです。こんな僕ですがよろしくお願いします。

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 これを書いたタイガ君はこんな作文も書いています。

pukapuka-pan.hatenablog.com

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 そのお母さんは

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 一年前、新聞記事でぷかぷかパン屋さんのことを知ったとき、うわぁ、なんて素敵なパン屋さん!近くだったらなぁ~と思ったことを覚えています。そしてそのぷかぷかさんたちと一緒に今、過ごしている自分、なんかすごい私!と、このご縁がとても嬉しく大切にしていきたいと思います。

 実際に参加してみて、みなさんの想像力の豊かさには感心させられました。どんどんイメージが膨らんで、私はというと、さびついた脳みそをフル回転させてもたよりなく、ぷかぷかさんたちにたよってばかりの私でした。あーでもない、こーでもない、と一緒に悩んで考えて話し合ってぷかぷかさんたちから教えられることがたくさんありました。また、私に疲れていないかと心配して声をかけ、私の手を取りマッサージしてくれたり、ほんとに癒されました。一日をともに過ごして心にやすらぎをもらって帰宅しました。

 参加して気が付いたことがあります。私は息子と一緒に知的障碍者施設でのボランティアに参加してきましたが、そこでは支援者さんと呼ばれてきました。だから、支援しなくてはいけない、と思い込み、その結果障がいのある方と接するときどこか上から目線で接してきた自分に気づきました。こんな気持ちだから、例え100万回障がいのある方とふれあっても何も変わらない、数の問題ではなく、自分自身の問題だったのだと感じました。

 一方、元気なく参加している息子をみて、もう次回はいきたくないと言われるだろうと思っていたのですが、その日寝る前に、「今日はいってよかった、また次回も行くよ、ありがとね」と言われてホッとして嬉しく思いました。息子は幼いころから吃音に苦しんできました。舌を切って伸ばす手術をしたり、目の病気がみつかったりして、生まれてこなければよかった、と言われたこともありました。自分に自信が持てず、人の前に立って話したり、行動することを嫌がりました。しかし、高校生になって、ほんとに不思議なのですが、吃音がなくなり積極的に行動するようになってきました。

これからは物おじせず何事にも取り組んでいってほしいなぁと思っています。

この経験は息子にとっていつかきっとプラスの経験となっていきてくるのではと思うのです。

上映会の映像の中で、「ぷかぷかさんたちがこの町を障がい者の理解ある町へと自分たちで町を耕している」というナレーションを聞いて、その“耕す”という言葉が、いい言葉だなぁと、とても印象に残っています。

 

私もこれからは、ぷかぷかさんたちとふれあいながら、人としての生き方を自分の中に問い直し、自分自身を耕していきたいと思います。

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 この親子がワークショップの中で、どんな風に変わっていくのか、すごく楽しみです。 

「手も足もないナメクジが、どうしてすもうをとるんだ。それはおかしい」

 9月22日、第5期2回目の演劇ワークショップがありました。今期は宮澤賢治作『ほらクマ学校を卒業した三人』を取り上げるのですが、中身はわりとエグい話というか残酷な話なので(といっても、これは人間から見た感想であって、生き物にとっては相手を食べてしまうのは当たり前の話)、場合によっては、

「こんなのいや」

という人が出てくるかも知れません。それでも、すごく面白いところもあったり、ほらクマ先生のいう

「なんでもいいから一番になれ」

という教育方針は、今の社会が目指すものと重なるところがあって、そこをぷかぷかさんたちといっしょに

「それはちがう」

ということがうまく表現できないか、という思いがあります。

 

 まずはお話の概要を進行役のはなちゃんに話してもらいました。

 

赤い手の長いクモと、銀いろのナメクジと、顔を洗ったことのないタヌキが一緒にほらクマ学校に入りました。ほらクマ先生は校歌の中でこんなことを教えました。

 

♪ カメはのろまに 歩いて見せた ウサギだまされ昼寝した 

 早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い

 なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ 

 なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ

 

 三年たって三人は仲良くほらクマ学校を卒業しました。三人はうわべは大変仲よさそうにほらクマ先生を呼んで謝恩会をやったり、自分たちのお別れ会をやったりしていましたが、お互いにみな腹の中では

「へん、あいつらに何ができるもんか、これから誰が一番大きくえらくなるか見ていろ」

と、そのことばかり考えていました。

 さて会も済んで、三人は銘々うちに帰ってきて、いよいよ習ったことを自分でほんとうにやることになりました。

 

ちゃうどそのときはかたくりの花の咲くころで、たくさんのたくさんの眼の青い蜂の仲間が、日光のなかをぶんぶんぶんぶん飛び交ひながら、一つ一つの小さな桃いろの花にあいさつして蜜や香料をもらったり、そのお礼に金色をした円い花粉をほかの花のところへ運んでやったり、あるいは新らしい木の芽からいらなくなったロウを集めて六角形の巣を築いたりもういそがしくにぎやかな春の入口になっていました。

 

  クモは大きくなろうと、もう一生懸命であちこちに十も網をかけたり、夜も見張りをしたりしました。ところが困ったことに食物があんまりたまって、腐敗したのです。そして蜘 蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人は足のさきからだんだん腐れてべとべ とになり、ある日とうとう雨に流されてしまいました。

 

 ナメクジは訪ねてきたカタツムリたちに親切でしたが、相撲をやって投げ飛ばし、気を失ったカタツムリやトカゲたちを食べて、どんどん大きくなりました。カエルも相撲をとって食べるつもりでしたが、塩をまかれ、ナメクジはとけてしまいました。

 

 タヌキは自分のお寺へ帰っていましたが、腹が減って困っていました。訪ねてきたウサギに

「山猫大明神さまのおぼしめしじゃ、なまねこなまねこ」

と妖しいお経を上げながらウサギを食べてしまいます。続いてやってきたオオカミも食べてしまいます。 オオカミが持ってきた籾三升も飲み込んでしまいます。籾がお腹の中でどんどんふくらんで、25日めに狸はからだがゴム風船のようにふくらんでそれか らボローンと鳴って裂けてしまいました。

 

 

と、概要を話したあと、クモ、ナメクジ、タヌキのグループに分かれ、簡単なお話を作ってもらいました。グループに渡した台本は原作の一部分です。

 

 

クモの台本

 「ここはどこでござりまするな。」                    

と云いながらめくらのかげろうが杖をついてやって来 た。        

「ここは宿屋ですよ。」                         

と蜘蛛が云った。 かげろうはやれやれというように、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして                      

「さあ、お茶をおあがりなさい。」                    

と云いながらいきなりかげろうのおなかに噛みつきまし た。
かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、       

「あわれやむすめ、父親が、旅で果てたと聞いたなら」          

と哀れな声で歌い出しました。                     

「えい。やかましい。じたばたするな。」                 

と蜘蛛が云いました。するとかげろうは手を合 せて           

「お慈悲でございます。遺言のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」                                

と ねがいました。
蜘蛛もすこし哀れになって              

「よし早くやれ。」                           

といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとうにあわれな細い声ではじめから歌い直しました。

「あはれやむすめちゝおやが、旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲、いとし巡礼の雨とかぜ。
 非道の蜘蛛の網ざしき、さはるまいぞや。よるまいぞ。」

 「小しゃくなことを。」                        

 と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そし てしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて、又糸をはきま した。

 

 

ナメクジの台本

 ある日雨蛙がやって参りました。

「なめくじさん。こんにちは。少し水を呑ませませんか。」

と云いました。 なめくじはこの雨蛙もペロリとやりたかったので、思い切っていい声で申しました。

「蛙さん。これはいらっしゃい。水なんかいくらでもあげますよ。ちかごろはひでりです けれどもなあに云わばあなたと私は兄弟。ハッハハ。」

蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたような顔をしてしばらくなめくじを見て から云いました。

「なめくじさん。ひとつすもうをとりましょうか。」

なめくじはうまいと、よろこびました。自分が云おうと思っていたのを蛙の方が云ったのです。こんな弱ったやつならば五へん投げつければ大ていペロリとやれる。

「とりましょう。よっしょ。そら。ハッハハ。」

かえるはひどく投げつけられました。

「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」

かえるは又投げつ けられました。するとかえるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云いまし た。

「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」

塩が白くそこらへちらばった。 なめくじが云いました。

「かえるさん。こんどはきっと私なんかまけますね。あなたは強いんだもの。ハッハハ。 よっしょ。そら。ハッハハ。」

蛙はひどく投げつけられました。 そして手足をひろげて青じろい腹を空に向けて死んだようになってしまいました。銀色 のなめくじは、すぐペロリとやろうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきま せん。見るともう足が半分とけています。

「あ、やられた。塩だ。畜生。」

蛙はそれを聞くと、かばんのような大きな口を一ぱいにあけて笑いました。そしてなめくじにおじぎをして云いました。

「いや、さよなら。なめくじさん。とんだことになりましたね。」

なめくじが泣きそうになって、

「蛙さん。さよ......。」

と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑いながら

「さよならと云いたかったのでしょう。本当にさよならさよなら。わたしもうちへ帰って からたくさん泣いてあげますから。」

と云いながら一目散に帰って行った。

 

 

タヌキの台本

狼が籾を三升さげて来て、どうかお説教をねがいますと云いました。 そこで狸は云いました。                        

「お前はものの命をとったことは、500や1000ではきくまいな。生きとし生けるものならば なにとて死にたいものがあろう。それをおまえは食ったのじゃ。早くざんげさっしゃれ。 でないとあとでえらい責苦にあうことじゃぞよ。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」                     

狼はすっかりおびえあがって、たずねました。             


「そんならどうしたらいいでしょう。」
                 

狸が云いました。                              

「わしは山ねこさまのお身代りじゃで、わしの云うとおりさっしゃれ。なまねこ、なまねこ…」
                          

「どうしたらようございましょう。」                  

「それはな。じっとしていさしゃれ。わしはお前のきばをぬくじゃ。このきばでいかほど ものの命をとったか。恐ろしいことじゃ。お前の目をつぶすじゃ。この目で何ほどのもの をにらみ殺したか、恐ろしいことじゃ。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前 のみみをちょっとかじるじゃ。これは罰じゃ。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあ たまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。この世の中は堪忍が大事じゃ。なまねこなまねこ。 むにゃむにゃ。お前のあしをたべるじゃ。なかなかうまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。 おまえのせなかを食うじゃ。ここもうまい。むにゃむにゃむにゃ。」        

とうとう狼はみんな食われてしまいました。
そして狸のはらの中で云いました。

「ここはまっくらだ。ああ、ここに兎の骨がある。誰が殺したろう。殺したやつはあとで 狸に説教されながらかじられるだろうぜ。」          

 狸はやかましいやかましい蓋をしてやろう。と云いながら狼の持って来た籾を三升風呂敷のまま呑みました。

 ところが狸は次の日からどうもからだの工合がわるくなった。どういうわけか非常に腹 が痛くて、のどのところへちくちく刺さるものがある。 はじめは水を呑んだりしてごまかしていたけれども一日一日それが烈しくなってきてもう居ても立ってもいられなくなった。 とうとう狼をたべてから二十五日めに狸はからだがゴム風船のようにふくらんでそれか らボローンと鳴って裂けてしまった。

 

 

 この台本をそのままやるのではなく、グループごとに話し合い、この台本から見えてくる情景をまず絵に描いてもらいました。

 クモのグループにいたタカハシのおじさんは、台本を読んでも最初どういうお話かよくわからなかったのですが、ヨッシーが目の見えないカゲロウをやるといいだし、それがきっかけで絵が描き上がり、芝居ができました、とおっしゃっていました。 

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絵の発表

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芝居の発表

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 ナメクジグループでは、ショーへーさんが

「手も足もないナメクジが、どうしてすもうをとるんだ。それはおかしい」

と言い出したのがきっかけで、手も足もあるナメクジを描き始め、そこからイメージが広がっていったそうです。

 はじめは芝居をやる気があるのかないのかはっきりしなかったのに、いざ発表になると行司役をやったイクミさんは、練習にもなかったセリフ

「ひが〜し〜、なめくじやま〜、に〜し〜、かえるやま〜

なんていいだし、なんかすごいなぁ、とおっしゃってました。 

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みんなが絵を描いているそばで、こんな関係ができるところがぷかぷかのワークショップのいいところです。

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絵の発表

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芝居の発表

ひが〜し〜、なめくじやま〜

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はっけよ〜い

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のこった、のこった…

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塩をまかれて、ナメクジは足からとけてしまいました。

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 タヌキグループはテラちゃんがタヌキの絵を迷いなく一気に描き、それにあわせてハヤチャンがオオカミを描いたところから動きが始まりました。

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絵の発表

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芝居の発表

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食べられるオオカミのパーツ(きば、頭、背中など)に別れて表現したところがすばらしかったと思います。

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 今回、とりあえず芝居を作っていく手がかりがつかめました。これをどう広げていくかが、そこにぷかぷかのメッセージがどれだけ込められるか。最初にメッセージありき、ではつまらないので、ぷかぷかさんと一緒に作っていく中で、どこまでそういったものを見つけられるか、だと思います。

 10月には、クモにカゲロウが食べられるところをデフパペットシアターひとみの人たちに「浄瑠璃」でやってもらう予定です。

「あはれやむすめちゝおやが、旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲、いとし巡礼の雨とかぜ。
 非道の蜘蛛の網ざしき、さはるまいぞや。よるまいぞ。」

また、青い目の蜂たちが飛び回るシーンをプロの振り付け師と一緒に作ろうと思っています。

 これからどんどん面白くなります。

障がいのある人たちは、私たちの心を軽くしてくれる人たち

 朝日新聞の今朝の天声人語。白髪についての話はすごく面白かったです。

 

 白髪を染めずにテレビに出演し、話題になっている女性がいる。フリーアナウンサーの近藤サトさん(50)。「若さが美しい」という考え方から自分を解放したいと思ったと先日の本紙で語っていた▼きっかけは東日本大震災だった。防災用品を用意しているとき、無意識に白髪染めも入れていた。「世の中が大変なときに、私は何をしているんだろう……人として空っぽだなぁとがっかりしたんです」。若く見せようとするのをやめ、楽になったという▼ロマンスグレーがかっこよさを求めるなら、グレーヘアで手に入るのは解放感や自由さか。こうでなければいけないという思いを脇に置けば、心はもっと軽くなるかもしれない。髪でも、ほかのことでも。

 

 

 ぷかぷかさんたちは、社会にあわせるのではなく、彼らのそのままの姿で働いています。「こうでなければならない」といった「規範」や「縛り」が一切ありません。そんな彼らが、ぷかぷかの自由な空気感を生み出しています。

 「ぷかぷかに来るとホッとする」

というお客さんが多いのは、その自由な空気感のせいだと思います。

 その空気感の中にいると、「こうでなければいけない」という思いを自然に脇におけるのだと思います。そうすると、自然に心はもっと軽くなります。

 昨日来たお客さんは、「お酒も音楽もないのになぜかお祭り気分」なんていってましたが、心が軽くなると、お祭り気分になる人もいるようです。

 

 障がいのある人たちは、私たちの心を軽くしてくれる人たち、というふうに見ることができれば、「障がいのある人はあれができない、これができない」といった思い込みから自由になれます。彼らとの関係が豊かになります。

 こういう関係を築いていくこと、それが共生社会だろうと思っています。

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 彼らの自由さに演劇ワークショップの中で気がついた人もいます。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 

「大好きなことを思いっきり表現する」 このことが、どんなに素敵なことか

 「共生社会」を目指そう、と最近よく言われるのですが、そこでの障がいのある人たちとの関係はどうなんだろう、という議論はあまり聞かれません。なんとなく障がいのある人たちと「共に生きる」というところで、なんとなくみんな賛同している感じですが、そこでもまだ障がいのある人たちに「何かやってあげる」ような関係があるとしたら、今の社会と「共生社会」はどう違うんだ、ということになります。

 どうも聞こえのいい言葉だけが先行し、その中身の吟味が十分になされていない気がします。

 「ともに生きる社会かながわ憲章」のサイトにもあまり掘り下げた議論が見当たりません。相模原障害者殺傷事件を受けて、あわてて作ったという感じです。「共生社会」ってどんな社会なのか、もっともっと議論が必要な気がします。

www.pref.kanagawa.jp

 

 演劇ワークショップや表現の市場では、あまり意識はしていませんが、あえて言うならその「共生社会」がすでに実現しているかも知れません。第二期演劇ワークショップに参加した方が、ぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやる中で、彼らとの関係について、彼らの表現についてすばらしいことを書いています。「共生社会」を言うなら、こういう関係で生きる社会のことだと思います。

 

 

発表会、とても楽しく感動的な時間でした。

なんだかまだ頭がぼぉー・・・としています。

 

最初の辻さんの「ギンギラギンにさりげなく」で、いきなりやられました。

出番が多いので、さすがの辻さんもちょっと緊張してるかな?

なんて、始まる前は思ってたのですが、全くの杞憂でした・・・。

舞台の中央で、しょっぱなからあのテンションでのパフォーマンス!

度胆を抜かれました。

一瞬にして、会場がひとつになりましたね。

そして、ギンギラギンの威力は次の団体、そして次にもどんどん広がって

「表現の市場」の核になっていたように思います。

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思い返してみると、ワークショップの回を重ねるごとに

いろいろなことをこころとからだで学んできました。

班に分かれてそれぞれの「生きる」の詩を作ったとき、

その時は気づいていなかったけれど、出てきた詩に

意味づけをして、もっともらしくまとめたい、と思っている自分がいました。

ついでに告白しちゃうと、発表するんだし、

他の班も当然そんな感じだよね?くらいに思っていました。

 

なので、「電車にのりたい~!」とか「野球がしたい~!」とか

純粋な気持ちをそのまま発表している人たちを見て

内心「これでいいの?!」って思っていました。

そして、そう思いながら、高崎さんの方を見たら、ものすごーく楽しそうに

笑っておられて、「あれれ?これでいいんだー」と

複雑な心境になった回もありました。

 

「これをやりたい!」って思うと同時に

「でもそれって求められていること?」とか

「他の人が見たらどう思うかな・・・!?」とか

瞬間的に考えちゃってる自分に気づかされました。

 

花岡さんのセリフにもありましたが

「わたしってどれだけ自分で自分をしばりつけていたんだろう・・・」

ってワークショップ中に何度も思いました。

そして、そんな自分に対面しないといけないから

ワークショップは楽しいけど、苦痛な時もありました。

 

だけど、今日ぷかぷかさんと発表会の舞台に立って

確信することができました。

 

誰に遠慮することなく

「大好きなことを思いっきり表現する」

このことが、どんなに素敵なことで

周りの人を、そして世の中を元気に幸せに

するんだってことを!

 

横山さんたちとやった野球、楽しかったなぁ~。

天ぷらそばもおいしかったなぁ~。

そして今日も布団で寝られるって最高に幸せだ~~。

 

ぷかぷかのみんな、ありがとう。

そしてこうした機会をつくって下さった高崎さんやせつさん

お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。

 

いい夢が見られそうです。

 

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 明日県の共生推進課の方がぷかぷかに見学に来ます。推進している「共生社会」に対して、どんなイメージを持っているのか聞いてみたいと思っています。

 共生推進課といえども、多分障がいのある人たちとそれほどおつきあいしているとは思えないので、人権研修会の提案をしてみようと思います。ぷかぷかさん達が講師で行きます。セノーさんは多分

「あ〜〜〜」

とか言いながら固まってしまいます。その固まったセノーさんと共生社会を生きるとはどういうことなのかを考えて欲しいと思います。聞こえのいい言葉ではなく、本音の言葉で話して欲しいと思います。

 そうだ、ワークショップに誘ってみよう!と、突然今思いつきました。ぷかぷかさん達の中でもまれ、たじろぎ、思うように言葉や表現が出てこない不自由な自分に気づく中で、「共生社会」ってなんだ、って考えて欲しいと思うのです。

 演劇ワークショップは、どこかでいつも必死になるところがあります。適当にやり過ごしているのでは、前に進めないことがたくさんあります。彼らの前に真剣になって立つ。必死になって立つ。そのことを共生社会推進課の人にぜひ経験して欲しいと思うのです。

 そうそう、忘れなければ、川崎市で普通学級で学びたいという障がいのある子どもの思いを邪魔した教育委員会のことも聞いてみようと思います。

「私、ちょうどこれでいい」

NHKの「19のいのち」のサイトに最首悟さんの投稿が載っています。

www.nhk.or.jp

 文中に《実際に意思疎通できず食事も排泄も自分でできなくなった時に、実は心の内は平穏な状態でのんびりと過ごしていて、「私、ちょうどこれでいいな」と思っているかもしれない。》という箇所がありましたが、「私、ちょうどこれでいいな」は星子さんのことを思いながらの言葉なんだろうなと思いました。

 意思疎通ができず、食事も排泄も自分でできなくなっても、「私、ちょうどこれでいい」。そうか、そう思う人がいるかも知れないんだ。そう思うと、なんかちょっと気持ちが楽になります。

 NHKスペシャルの中で、星子さんが寝そべったまま、左足の指で、右足のふくらはぎをコキコキ掻くシーンがありました。かゆいというよりも、いつもそうやって遊んでいる感じでした。ですから足の指の動きが実に手慣れている感じでした。食事も排泄も自分でできない人とは思えないよほど、器用に足の指を動かしていました。

 寝そべった姿勢で、ああいう器用なことは私には絶対にできないと思いました。星子さんて、ああいう器用なことをしながら楽しんでいることがいっぱいあるんじゃないかと思いました。

 「私、ちょうどこれでいい」、寝そべったまま、足をコキコキ器用に動かしている星子さんの姿は、まさにその言葉を語っているようでした。

 そして事件で殺された重い障がいを持った人たちは、みんな様々な形で「私、ちょうどこれでいい」って思ってたんじゃないかと思いました。そうやって平和に、おだやかに、いろんな楽しみをもちながら暮らしていたんじゃないか、と。

 

 あらためて犯人の植松は重い障がいのある人と全くおつきあいしてなかったのだと思いました。重い障がいのある人たちと人として出会うことがなかったのだと思います。だから重い障がいを持っている人たちの生きている世界、たとえば星子さんのような人が足をコキコキやって楽しんでいるような世界が想像できなかったのではないか。

 これは彼一人の問題ではなく、やまゆり園という職場が、障がいのある人たちとそういうおつきあいしかやってなかったのだろうと思います。