ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。

 バンクーバーにいながら大阪弁でまくし立てるサカベンさんに、カナダにおける障がいのある人たちの置かれている状況について聞きました。

 

 

 状況という意味ではカナダの方がずっと日本よりいいと思いますよ。もっとオープンで受け入れられています。
 インクルーシブという言葉があって、みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。
 そして制度や補助金もしっかりしています。
 こちらは高校まで義務教育なので、19歳まで無料で学校に通え、教室ではエデュケーションアシスタント(以下EA)という担任とは別の先生がついて、勉強を手伝ってくれます。
 どこの国も同じですが教育費が足りなくて、一人のEAが二人の障がい児を見るといった状態も稀ではありません。

 学童期に入るまでは自閉症に限り月$1600の補助金が出ます。
 そのお金でコンサルタントを雇って、その人にビヘイバーインターベーショニスト(以下BI)という介護療法士を教育してもらいます。

 簡単に説明すると、コンサルタントが3週間毎に自閉症児に会いにきてその子に合ったプログラムを作ります。作ったプログラム通りにBIが週5日2時間ずつ療育します。内容は一人一々全く違った内容になります。
 うちの場合は問題行動を治すこと、文字を読めるようにすることなどを本人に合ったスピードで進めていきます。だんだん算数ができるようになり、人を噛まなくなりと成長していくので、それに合わせてプログラムを常に変えていきます。
 BIが毎回ノート1ページ分ほどの経過や出来事を書き、どれだけできたかを全て表に残し、3週間毎にミーティングを開きます。これからやらなければいけないこと、やめること、続けて様子を見るものなどを話し合います。
 コンサルタントは学校、家庭との連携も手伝ってくれます。

 ひじょうに簡単な説明で、ほんの一部分しか話せていませんが、ざっと家庭系はこんな感じです。


 学校や卒業後はまた次回に続く。

 

 

 サカベンさんとは最初の打ち合わせの際に、いろいろ話しただけで、あとはなかなか話をする時間が取れなくて、今回もメールによる質問に答えてくれたものです。

 「みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。」というのも、全員がそうなのか、個別支援級や養護学校はあるのかどうかはわかりません。個別支援級や養護学校がなくて、すべてが同じ教室で同じ授業を受けているとしたら、すごいことだと思います。

ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここに

 10月21日(土)、第四期の第三回目のワークショップ。私の熱いリクエストで歌うことになった「あの広場のうた」、みんなすごくのって歌っています。原曲よりもかなりゆっくりで、音も下げ、とても歌いやすくなっています。むつかしい手拍子も、あみちゃんの手にかかると、みんなできるようになりました。シャキシャキした手拍子がみんな気に入っています。

www.youtube.com

 

♪ いまはいつだろう  いつもの朝

  ここはどこだろう   いつも場所

 

 いまはいつだろう  いつもの夜

 ここはどこだろう  いつもの場所

 

 でもどこかちがう

 ここはどこかに似ている

 

 おとなもこどもも  犬も鳥たちも

 虫たちも集まる   あの広場みたい

 

 耳をすませば見えてくる

 目をみはれば聞こえてくる

 少しずつ 少しずつ

 

 歌が生まれ  人は踊り出し

 物語がはじまる  あの広場がここに

 

 昔 広場に一本の柱

 ここに立てよう  目には見えない柱を

 

 昔 広場に一本の柱

 ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪

 

 

安見ちゃんが最後の「ここではじまったオペラを」のところを「ここではじまったぷかぷか」に変えてくれました。私のこの歌に込める思いをくみ取ってくれたのだと思います。

 ぷかぷかは単なる福祉事業所の枠を超えて、みんなにとって、とても大切な場所になっています。ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。

 

 さてその広場で今回もいろんな物語が生まれました。どんな物語が生まれたか、写真を見ながら想像してみて下さい。

 『注文の多い料理店』は森にある大きなかしわの木からはじまります。

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西洋料理店『山猫軒』にやってきた紳士のひげを作りました。

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紙袋を使って動物のお面を作りました。

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手につけるお面です。

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紳士が西洋料理店『山猫軒』を見つけたシーンをやってみました。セノーさんがなかなかいい雰囲気を出しています。そこに立っているだけで、物語が生まれます。

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 ひげとお面を作るだけで、これだけの物語が生まれました。これが「ぷかぷか」です。

 ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。

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ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?

《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。

 

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今日のぷかぷか日記、「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると…
とてもタイムリーにこころに届きました。

 

「なんで?」「どうして?」
目の前にひろがるすべてを哲学することで新しく生まれるものがある。
というか、隠されていた世界が顔をみせるのではないか?
 
そんな確信めいた予感があるのです。
 
 
すべての現象は意図することから始まっている。
凝り固まって縺れた現象をじっと見つめていくと解き方がわかってくるのでは?
深く深く見つめたことをお互いに語り合う場があればいいと思っていました。
 
 
ブックマーク登録している「教養と看護」というブログで以前に、
子ども哲学おとな哲学 アーダコーダが紹介されていたんです。
哲学する場がどんどんひらかれてゆく様がとても嬉しかったんです。
 
 
高崎さんのブログでそのことを思い出したり、たまたま目にとまった言葉が
いまの自分のこころとシンクロしていて、
「それで正解だよ」と太鼓判を押されたようで嬉しくなってしまいました!
 
 
 
ぷかぷかさん達や″障がい″について
子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?
とっても楽しみですね。
小さな哲学者たちのことをぜひブログにのせて欲しいです。
 
  
すごくどうでもいいことかもですが…
シネマカフェの予告編動画で、「お金は要る?」の問いに「いらな〜い」が
いっぱいでなんだかやけに嬉しかったです。わたしもそう思うので。
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 あちこちでぷかぷかの話をする機会が多いのですが、みんな共感しながらも、本当に自分のものになっているかどうかはよくわかりません。
 12月2日(土)に予定している北九州の集まりでは、私の一方的な話で終わるのではなく、ぷかぷかが創り出してきたものを北九州でも実践するためにはどうしたらいいのか、といったところに焦点を当てたトークセッションをやろう、ということになっています。たとえば街を耕す、といったことを映像の中で語っているのですが、それを北九州でやるのはどうしたらいいのか、といったことを地元の人たちと一緒に話をしようと思っています。そういうことがあって、具体的な一歩が踏み出せるのだともいます。ただ話を聞いて、いい話だった、で終わっていたのでは、こういう具体的な一歩は出てきません。具体的な一歩をふみだして、ようやくぷかぷかの話が生きるのだと思います。
 
 トークセッションはアーダコーダの対話の一つだと思います。とにかく黙って聞くだけでなく、対話をすることで、自分の思考を磨き、前へ進む何かを見つけることができればすばらしいと思います。
  
 子ども達が日々の暮らしの中で、あるいはイベントで受け取っている「ぷかぷか」をアーダコーダの対話の中で取り上げたら、どんな風に語られるんだろう、と思います。
 一人ひとりの子どもの中に、なんとなくあった《ぷかぷか》が、人との対話の中で取り上げられると、イメージがくっきりするというか、《ぷかぷかって何?》というところがだんだんはっきりしてくるように思います。「なんとなくあったもの」が言葉にすることではっきりしたものになります。子どもが自分で考え、自分の中で深めていきます。
 私から《ぷかぷか》の説明を聞くのとは、子どもの中で起こることが全くちがいます。だからこそ「あーだこーだの子ども哲学」から見えてくる《ぷかぷか》がすごく楽しみなのです。子ども達の中で《ぷかぷか》がどんな風に生きているのかが見えてきます。

11月5日(日)カナダ報告会やります。

 11月5日(日)午後1時〜3時、みどりアートパークリハーサル室でカナダ報告会を行います。バンクーバーで上映したプロモーションビデオカナダ版をみんなで見たあと、カナダで見つけたことを様々な立場から報告します。

 報告はぷかぷかさん、ぷかぷかさんの保護者、pvプロボノの人たち、映画監督、ぷかぷかスタッフです。

 国際自閉症フェスティバルの主催者レオノーラさんがスカイプで参加するかも知れません。いろんな質問ができると思います。楽しみにしていて下さい。

 

 たくさんの人たちとの出会いがありました。その出会いをぷかぷかの活動の中でどんな風に生かしていくのか、それがこれから問われると思います。

 

  ぷかぷかのメッセ−ジがいっぱい詰まったプロモーションビデオは、思いのほかいい反応でした。障がいのある人たちが「街を耕している」とか、「街を豊かにしている」という発想自体が、外国にはないのか、自分の中の障がいのある人たちの概念をひっくり返した、という方もいました。アメリカの方でした。アメリカは日本よりも障がいのある人の受け止め方が進んでいるように聞いていたのですが、その感想を聞く限り、そうでもないのかな、という気がしました。やはり、何かやってあげる対象、と見ているのかも知れません。

 「耕す」とか「豊かにする」という言葉の表現がすばらしいといってくれました。こういう評価はうれしいですね。日本でこそ、この言葉が広がって欲しいと思いました。障がいのある人たちは「社会を耕す人」であり、「社会を豊かにする人」という見方を日本でもっともっと広げていこうと思いました。相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあってはなおのこと必要な見方ではないかと思います。

 上映の時、たまたまテラちゃんがそのアメリカの人の隣に座り、いつものように腕をさすっていたのですが、その方は、隣の女性が「一緒にいると社会が豊かになる」という言葉を実感させてくれました、といってました。テラちゃんのふるまいを「豊か」と表現した方に拍手!でした。

 

 インドの方は「すごくハッピーな気持ちになれた」とおっしゃっていました。インドは福祉の面ではまだまだ遅れている感じですが、インドの人たちのワークショップをのぞいてみると、とにかく社会を改善したいという思いに溢れているようでした。でもすごくお金がかかって、お金がないと福祉が手に入らない感じがしました。

 昔インドを旅した経験からは、その改善が困難を極めることが容易に想像できました。やはり富裕層にしか目が向いていないのかなと思いました。私が旅でウロウロした庶民的な街の人たちにこの改善案が届くには途方もない時間がかかる気がしました。

 「ぷかぷか」はいわば庶民的な街の物語です。お金を使って作り出したものではありません。何よりも彼らが目指しているものとはかなりちがうものだったと思います。彼らは自閉症のしっかりした療育プログラムを作っているようでした。ものすごく勉強している感じでしたが、そのプログラムが「ハッピー」をもたらすかというと、そういう感じでもない気がしました。そんな彼らがぷかぷかの映像に「ハッピー」なものを感じてくれたのは、彼らにとってすごい発見だったのではないかと思います。障がいのある人たちとかかわる上で、何が大事か、という意味で…

 

 アメリカの少年はその「ハッピー」な感じの中で涙を流したといってました。自閉症の当事者の方でした。お母さんは「Amazing!」としきりにいってました。お父さんはパントマイムをやられる方で、上映会のあと、どういうわけか私も一緒にやることになり、チョウチョを捕まえるパントマイムをやりました。こういう関係があっという間にできてしまうところがアメリカだなと思いました。パントマイムをみんなの前で即興でやったご褒美に黒いTシャツをもらっちゃいました。

 

 イラク大使がご夫婦で見てくれました。人間が成長する場を、障がいをある人たちの専門機関ではなく、こういうふつうの営みの中で実現していることがすばらしいと奥様はおっしゃていました。奥様は医者として障がいのある人たちにかかわっておられるようでした。「ぷかぷか」の活動を見て、人間が成長する場、というふうに言われたのは初めてでした。人間にはこういう場が必要だ、ということも。それを実現したあなたの手は「神の手だ」とイラクの大使は私の手を両手で握りしめてくれました。「神の手」などという表現は日本ではなかなかないですね。ぷかぷかの映像に、よほど驚いたのだと思います。

 「人間が成長する場」という視点は、初めて聞くものでした。でも、いわれてみれば、すごく大事な視点であって、それを忘れていた私たちこそ反省しなければならないと思いました。

 イラクでは戦争をやっています。国が荒廃しています。それでも、本当は困っている人がいれば、みんなで助け合う国なんです、と大使は言ってました。そういう国だからこそ、荒廃の中にあって尚も福祉について何か学ぼうとフェスティバルに参加したのだと思います。そんな国の人に言われた「人間が成長する場」という言葉の重さを思いました。

 

 私は英語が話せないので、いろんな人が話しかけてきても、突っ込んだ話ができませんでした。通訳を鋏んだ会話は、お互いの思いを通じるところまではいきません。これはとても残念なことでした。また行く機会があるかも知れないので、英語をふだんから勉強しておこうと思いました。

 カナダから帰ってから外国の方が時々Facebookにアクセスしてきたりしているので、一部英文表記をしようかと考えています。

 

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デフパペットシアターひとみの舞台に一緒に立つワークショップをやります。

 デフパペットシアターひとみの『森と夜と世界の果てへの旅』の公演が11月25日(土)午後2時からみどりアートパークホールであります。それに先駆けて11月4日(土)午前10時からワークショップをやります。25日の本番舞台に一緒に立ちます。

 このワークショップは「人生おもしろいことなんかないから死にたい死にたい」と毎日のように口にし、医者から「死にたい病」の病名をつけられたまーさんが長野まで出かけて参加し、デフパペの舞台に一緒に立った感動的な物語を生み出しました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

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 今回も25日の本番の舞台の最後のシーンで出演します。すばらしい体験になると思います。

 ワークショップの申込は直接みどりアートパークへお願いします。045−986−2441

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「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると…

  近所の小学校から毎年子ども達が「街探検」にやってきます。お店のことをいろいろ調べに来るのです。その学校の先生から、子ども達にぷかぷかの話をして欲しい、という依頼がありました。「街探検」では、パンは一日何個くらい焼くのか、何種類くらいのパンを焼くのか、といったことは調べても、どうしてぷかぷか、つまり障がいのある人たちの働く場が街の中にあるのか、といったことまでは調べません。そのあたりの話をして欲しい、ということのようでした。

 大人向けに話をする機会は多いのですが、子ども向けは初めてです。どういう言葉でぷかぷかのことを語れば子ども達に届くのか、ということですが、私が一方的にぷかぷかのことを語るより、子ども達自身で街の中にあるぷかぷかのことを語ってもらった方がおもしろい気がしています。

  最近注目を浴びている「アーダコーダの子ども哲学」のやり方でやると、きっと今までにない新しいものがでてくるのではないかと思うのです。私がいつも語るようなぷかぷかではない、新しい解釈のぷかぷかです。

 何よりも未来は子ども達が作ります。ふだんの暮らしの中で、子ども達は「ぷかぷか」にパンを買いに来たり、ごはんを食べにきたり、お惣菜や弁当を買いに来たりしています。アートのワークショップやパン教室、演劇ワークショップ、運動会に参加した子ども達もいます。表現の市場を見に来た子ども達もいます。「ぷかぷか」をいろんな風に受け止めていると思います。そこから語る言葉には彼らが作る未来が見える気がするのです。

 

 「子ども哲学」というのは、対話という方法で、子ども達自身がテーマを深めていく方法です。「障がい」って何?「ふつう」って何?障がいのある人たちとおつきあいすると何かいいことがあるの?「ぷかぷか」って何?といったことを子ども達自身の言葉で対話して、その意味を探っていくのです。

 で、その手がかりをつかもうと、日曜日、立教大学であった「哲学プラクティス」という集まりに参加してきました。様々な形(子ども哲学、哲学カフェ、など)で哲学対話をやっている人たちが集まって、お互いの成果発表、ワークショップなどがありました。22もの講座があったのですが、「哲学ウォーク」、シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」の三つに参加しました。

 

 「哲学ウォーク」というワークショップはすごくおもしろい体験ができました。最初に哲学名言を書いた短冊を引きます。私が引いたのは

「世界の価値は、世界の外側になければならない」

という、なんとなくわかったようなわからないような哲学名言でした。ヴィトゲンシュタインという方の名言だそうです。これを頭に入れて街の中を歩きます。日曜日は雨が降っていたので、立教大学の構内を歩きました。歩いているときは終始無言です。自分の名言を表現している場所に来たと思ったら「ストップ」をかけ、全員を止めます。10人くらいいました。どうしてその場所が名言を表現しているか説明します。ほかの人はその説明に対し、哲学的な質問をします。説明した人は質問の中からひとつ選び、歩きながら答えを考えます。最初の教室に戻り、答えをみんなの前で発表します。

 「世界の価値は、世界の外側になければならない」は、言葉でその意味を追求し始めると、もう言葉の迷路に入り込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなります。

 でも、その名言を表現している場所を探す、というのはどこまでも直感で探すので、なんかわくわくしながら探しました。

 私は構内から出る門のところで、「ストップ」をかけました。門が世界の内側と外側を表現しているように思ったからです。大学の門の内側では、アーダこーだと真理を探究しています。でも本当は門の外側にこそ、世界の価値があるのではないかと「勝手に」思ったのです。

 「勝手に」ですから、ひょっとしたら間違った解釈かも知れません。でも、そのことを問いただすわけでもなく、自分の思ったことを自由に話せる雰囲気がとてもいいと思いました。何よりも仕事や生活に追われて、ふだん考える機会のない

「世界の価値は、世界の外側になければならない」

なんていうむつかしい言葉について、楽しく考えられたことがよかったなと思います。久しぶりに頭を使ったなという気がしました。頭の、いい体操でした。

 

 シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」のワークショップは映画を見て、そこで感じたことを語り合う集まりでした。

 映画は子ども達がいろんなことをテーマにあーだこーだとひたすら対話している映画でした。ただそれだけの映画なのに、妙に心が洗われるというか、見終わったあと、とてもいい気持ちになれました。子ども達の世界へのふれ方がとても新鮮で、言葉を聞いているだけで、新鮮な気持ちでもう一度世界を生き直すような、そんな楽しさがありました。こうやって子ども達はわくわくしながら世界と出会っていくのだと思いました。そのわくわく感がとてもよく伝わってくる映画でした。 

www.youtube.com

 

「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」は子ども哲学をやっている六つのグループの実践発表でした。女性は全員が自分の子どもから出発していました。学校に任せていたらとんでもないことになる、といった危機感は、みんなが共有できる危機感でした。

 子ども哲学をやったからって、学校のどうしようもない状況が変わるわけではありません。でも、それを超える新しい世界ができあがってくる予感はありました。

 

 「障がいのある人たちのこと」「ぷかぷかのこと」をアーダコーダの子ども哲学で語ると、どんなことが見えてくるのだろうと、とても楽しみになりました。

こういう人が未来を切り開いていくのだと思います。

 クラウドファンディングの記事を読んで、わざわざ神戸から来て下さった方のブログです。

    高崎さんの、心にじんわりと、

    また、時にはガツンと響く

    言葉の選び方・考え方

    私はすっかり惚れ込んでしまい、

    即、会いに行くことに決めたのでした。

 

  思ったらすぐに動く、こういう行動力がすばらしいですね。こういう人が未来を切り開いていくのだと思います。

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