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ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

とんがった言葉ではなく、心の温泉浴

 『セロ弾きのゴーシュ・ぷかぷか版』の背景画を企画した金子さんが表現の市場の感想を送ってくれました。金子さんらしい言葉で「表現の市場」を語っています。

 

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「心の温泉浴やあ・・・『表現の市場』」

 

1月末の日曜日、ぷかぷか村の人たちが劇『セロ弾きのゴーシュ~ぷかぷか版~』をやるというので、横浜の長津田にある『みどりアートパーク』の『表現の市場』に行った。  

午前中、橋本で仲間たちとアートをやっていたので、自転車を飛ばして劇場ホールについた時には、『あらじん』の太鼓演奏や『はっぱオールスターズ』のラップは終わっていて少々がっくり。でもロビーには『表現の市場』の多様で柔らかなにぎわいが漂い、耳をすませばチェロの心地よい調べが流れている。

誘われるようにそっとホールに入るとほとんどの席が埋まり、300人くらいの人がチェロと太鼓のセッションを聴いている。これだけの人たちが、冬の午後をみんなで過ごそうと市場に集まって来ているのだと思うと、それだけであたたかい気持ちになった。

『表現の市場』の企画者である高崎明さんがよく口にする「障がいのある人達とは一緒に生きていった方がいい」というフレーズが浮かんできて、身体に浸みてくる。

そう、「浸みてくる」・・・このゆっくり温まるぬくもり感が実にいいのだ。

高崎さんの言葉は、昨年の津久井やまゆり園殺傷事件の容疑者の「障害者はいないほうがいい」に対応した彼独特の言い回しなのだが、それを言葉だけではなく、こんな風に実際に実感できる場を創りだしているところが彼の凄いところ。

ボクなんかは「優生思想はけしからん!」「自分の中の差別・加害者性に気づくべきだ!」とすぐにとんがった言葉を口にして、空回りばかりしてる。情けない限りなのだ。

そんな反省も込めて、ぷかぷか村の仲間たちの劇を見ていると、劇場全体が心地よい熱気に包まれているのに気づく。

舞台上の仲間たちの演技に合わせて、「ゴーシュ、なにやってんだあ」とか「トントン、タヌキですう!」といったセリフが客席から聴こえてきて、まるで炭酸温泉の泡(あぶく)のように舞台と客席の間を行き来しているのだ。

それが人のぬくもり、体感温度をつくりだし、ボクはすっかりゆるゆるになってしまった。

「こいつは凄いなあ」とボクは舌を巻く。

温泉浴でもするようにここで少しの時間を過ごしただけでも、きつく締めすぎていたボクらの頭のボルトは緩むような気がする。

今年の『表現の市場』で、もう一つ心に残ったのは休憩時間にロビーで歌ってくれた『ラブ・エロピース』のゆうじ(実方裕二)さんの歌声だ。

車いすに乗り、真っ赤な花模様の服を着こんで、首を大きく右に曲げて絶叫する白髪のゆうじさんは実にカッコいい。

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歌詞は何を言っているのか、実はボクにはよく分からないのだけれど、シャウトするエネルギーがゆうじさんの身体を突き抜け、周りのボクたちの上に降り注ぐ。

ゆうじさんはきれいな舞台よりも、ボクらの身近なロビーや路上で歌ってほしいミュージシャンなのだ。

そんなゆうじさんの絶叫とぷかぷかの劇が共存する『表現の市場』は、不寛容と憎悪、戦火の拡大する世界の中では、とても大切な『心の温泉浴』のような気がする。

 

 

 

 「心の温泉浴」いい言葉ですね。たくさんの人がぷかぷかに集まっているのも、「心の温泉浴」に浸っているのかも知れませんね。

 相模原障害者殺傷事件について、ともすればとんがった言葉が飛び交いますが、とんがった言葉をいくら語っても社会は変わりません。大事なことは容疑者を生んでしまったような社会を変えることです。障がいのある人たちを排除するのではなく、いっしょに生きていこうとする社会を作り出すことです。金子さんのいう「心の温泉浴」を感じられる場所があちこちにできたなら、私たちはその社会に向けて希望を持つことができます。障がいのある人たちとフェアに向きあう関係を作っていれば、障がいのある人たちといっしょに生きていくといいよね、って思っていれば、「心の温泉浴」はどこでも誰でも簡単に作ることができます。