ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

全員のばらばらな祝祭感!

 9月17日(日)秋田県の大館で第三回演劇ワークショップ記録映画の上映会をやりました。そのときに来ていた方が、昔友人が「高崎明を呼ぶ会」を作っていた話をしてくれました。以下はそのお話です。

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 大館で10年も続いている「ゼロダテアート展」。商店街で開催され、毎年多くのファンが空き店舗となった、かつて栄えた商店街に集まってくる。今年は会場を郊外の旧工場跡に移し、「ゼロダテ少年芸術学校」として開催された。

 チラシに《ドキュメンタリ−映画「ぷかぷか」上映会》を発見し、映画ファンとしてはまず目を引いた。更にそこに発見した「高崎明」の名前。聞いたことのある名前だ。しばし考えて思い出した。

 高崎明。ともに絵夢人倶楽部という映画サークルを運営していた親友、故湯沢照昭さんが語り続けて名前だ。「高崎明を呼ぶ会」を立ち上げよう、と。

 湯沢さんはドキュメンタリー映画に特に関心があり、三里塚や水俣や山谷についてのドキュメンタリー映画を自主上映していた。その彼がどのような経緯で高崎明さんに強い関心を持ったかは失念したが、とにかく、その彼から刷り込まれた名前が高崎明だ。

 

 9月17日、上映会場に向かった。獅子が森というところにあるその会場は30年前「ハチ公物語」の撮影が行われた場所だ。エキストラで訪れた当時とは景色が全く変わっている。大いなる月日の流れに感無量だった。

 会場でゼロダテの松渕さんから高崎明さんを紹介された。そのお顔を拝見し、この方とはどこかでお会いしていると感じた。そう、かつて湯沢さんが自主上映した映画の中でお会いしているのだ、と納得した。

 映画「ぷかぷか」が始まった。横浜のパン屋さんに集う人たちが作る芝居のドキュメンタリーだ。パン屋さんで働く障がいのある方とお客さん達が一緒に芝居を作る、そのプロセスが楽しく描かれる。これで本番が迎えられるのだろうかという心配を吹き飛ばすような全員のばらばらな祝祭感!それが僕らを圧倒する映画だ。

 この楽しさ、ゆるさ、パラダイス感はなんだ?それをずっと考えながら映画を見終わった。そしてその答えを高崎さんと高島祐太さんのトークを聞いてよくわかった。障がいのある方達の中にある、私たちの忘れてしまった「人間が生来持っている幸福を求める力」とでもいったものが映画の中に満ち溢れるのだと思った。そして、それを私たちに伝えてくれているのが高崎明さんの長年にわたるぶれない生き方であることも…

 

 家へ帰って、湯沢さんと高崎明さんのことを調べてみた。それは1988年の手帳に載っていた。「3月31日、中央公民館、高崎明、みんなでワークショップ」とある。

 高崎明さんは30年前、大館を訪れていたのだ。私は高崎さんとすでにお会いしていたのだった。だからあんなにお顔をちゃんと憶えていたのだ。当日は公民館でワークショップを実施しただけなのか、映画「みんなでワークショップ」の上映もしたのか、手帳の記録だけではわからない。でも、高崎さんが30年前、大館に来られたのだけは判明した。

 湯沢さんは「高崎明を呼ぶ会」を立ち上げただけではなく、ちゃんとご本人をお呼びしたということがやっとわかった。同じ頃、彼はチェルノブイリ原発事故に始まる反原発運動に精力的に取り組んでいたことも思い出した。彼を通して如何に多くの人と出会い、多くのテーマを学んできたかを、高崎さんに再会して、ゆくりなくも思い返している。

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 湯沢照昭さんのことは、鮮明に覚えています。ふっくらした丸い笑顔が印象的でした。大学の友人が湯沢さんを紹介してくれ、一晩中語り合ったことを覚えています。ちょうど養護学校の生徒達と地域の人たちでワークショップをやり始めた頃で、障がいのある人たちとワークショップをやることの意味などを熱く語ったのだと思います。その2年後に『みんなでワークショップ』と題した記録映画が完成し、湯沢さんは「高崎明を呼ぶ会」を立ち上げ、上映会を企画したのだと思います。

  その映画がこれです。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 湯沢さんは大館で映画の自主上映を通して、人が集まり、みんなが元気になる「広場」を作ろうとしていたのだと思います。だから障がいのある人たちを軸にしたワークショップで「広場」を作ろうとしていた私に激しく共感したのではないかと思います。「高崎明を呼ぶ会」は、その共感の表現ではなかったかと思うのです。

  原稿を寄せて下さった越前さんもその「広場」の一員だったのだと思います。30年前の「高崎明を呼ぶ会」をはっきりと憶えているのですから。そしてその「広場」の熾火のようなものが、まだ越前さんの中でかすかに渦巻いていて、今回の演劇ワークショップ記録映画を見たとき、「全員のばらばらな祝祭感!」とか「この楽しさ、ゆるさ、パラダイス感はなんだ?」といったものを感じたのだと思います。映画の感想を書いた人で「祝祭感!」という言葉を使った人は初めてです。

 湯沢さんは志半ばで亡くなりました。でも、彼の熱い思いは、今回この記録を書き起こしてくれた越前さんの中でしっかり生き続けているようでした。大館でまたワークショップの記録映画の上映会をやります!って言ってくれました。ひょっとしたらまた「高崎明を呼ぶ会」を立ち上げるのかも知れません。