ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷかさんに「救われた」

 以前ぷかぷかさん達に「生きるってどういうことか」を教わった、とステキな話 (http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2017/06/18/213251

を書いてくれた金子美香さんが、今度はぷかぷかさんに「救われた」話を書いてくれました。

 障がいのある人たちは「支援」が必要だと、多くの人たちが考える世の中にあって、障がいのある人たちに「救われた」と考える人がいたことは、ちょっとびっくりです。「一緒に生きていった方がいいよ」の更に先へ進んでいるような気がします。彼らとの新しいおつきあいの仕方が見えてきます。彼らとのおつきあいの中で「救われた」人のお話です。

 

 

 

 

私はぷかぷかの「おわりの会」が大好きです。
一日の仕事が終わるというのに、みんな疲れた感じも見せず、ガヤガヤおしゃべりしながら、パン屋、総菜屋、畑、アート、などなど、それぞれのセクションの代表の人がその日のことを話していきます。
 
とにかく、代表の人がスピーチしているにもかかわらず、なんかガヤガヤしていて、カオスなんですよ。(笑)
あれで「会」として成立しているのが、スゴいです!
成立しているというか、「成立しているということにしよう」という前向きさがある気がします。
 
そのエネルギーが好きで、育児で孤独だったころは、おわりの会に時々お邪魔していました。20分参加するだけで一日分のコミュニケーションが出来る気がするので、効率的なエネルギー補給になります。参加した日は、ほどよい疲労感とともに帰路につきました。
 
そんな「おわりの会」に、娘の1歳の誕生日に家族でお邪魔しました。
 
日ごろお世話になっているスタッフさんやぷかぷかさんに、誕生日当日に「1歳になりました~!」って言いたくて、ぷかぷかに寄ったんです。
せっかくなら、大好きな「おわりの会」の時間にしよう!と思いました。
 
そうしたら、私たち家族の存在に気付いてくれた高崎さんが、会の最後に
「金子さん、なにか一言どうぞ」と言ってくださったので、
「今日、娘の1歳の誕生日で~す!」と言ったんです。
 
そうしたら、「まなかちゃん、1歳の誕生日だそうです!では歌いましょう、せ~の」の掛け声で、ハッピーバースデーの大合唱が始まりました!
 
うちの娘、1歳の誕生日を40~50人の人に歌をうたってお祝いしてもらうなんて、すごいです!
 
私だって、そんな大人数に歌ってもらったことあるか分からない。(笑)
 
旦那は、その温かさに号泣して、撮っていたムービーがガタガタでした。
 
あぁ、温かいなぁ。
 
「では、歌いましょう!せ~の」で大合唱できるということは、誰かの誕生日をいつも祝うということを日常的にやっていて、習慣になっているんだと思いました。
 
お誕生日を祝うって、その人の存在を認め、祝福しているということですよね。
 
以前、ぷかぷかに取材に来ている新聞記者の方に
 
「私たち夫婦は、ぷかぷかに救われたんです」という話をしていると
 
「ぷかぷかさんたちにあって、金子さんに無いものってなんだと思いますか?」
 
と聞かれました。
 
私はふと
 
「ぷかぷかさんたちが持っているもの、私もきっと持っているんだと思うんです。
 
でも、私は他にいろいろと余計な荷物を持ちすぎて、それを持っていることを忘れているんだと思います」
 
と答えました。
 
この「本当は私たちもきっと持っているはずのもの」って何だろうって思っていたのですが、
 
それは「生きている」っていうことなのかなと思いました。
 
普段、人と会っても、わざわざその人が「生きている」とか「存在している」とかいうことって、当たり前すぎて意識しないんですよね。
病気を克服したとかいう事情があれば別ですけれども。
 
ぷかぷかさんたちには、私が背負っている「余計な荷物」、それってたぶん常識だとか「ふつうはこうだ」みたいなのとか、人から評価されるにはこうした方がいいとか、こういうことをすると変な目で見られるとかなんですけど、そういうのが無い。
 
だから、純粋だし、そこに生きているっていう「いのち感」みたいなのが前面に出ている。
 
普段、社会的にふつうに生きていると、人の前面に出ているのって「どこの会社の」とか「どういう肩書きの」とかそういうのが表に見えて、その人の「いのち感」ってあまり感じないです。
 
それが悪いっていうわけじゃないんです。そうした方が伝わりやすいこともあると思います。
 
でも、じゃあ、ふつうの人たちがみんな ぷかぷかさんを見て救われるかっていうと、そうじゃないんじゃないかと思います。
 
私たち夫婦がぷかぷかさんたちを見て救われた理由は、本音では「純粋に生きたい」っていう思いがあったからだと思います。
 
純粋性を求める気持ちが心の奥にあったから、ぷかぷかさんと共鳴した。
 
自分たちで言うのもなんですが、「純粋に生きたい」っていう自分の気持ちを、「そうだよね」って認めてあげられる感受性があったから、涙が出たし、感動した。
 
「あぁ、私って、僕って、純粋に生きたいんだな」
 
「純粋に生きていいんだな」
 
ぷかぷかさんたちを見て、そういう自分の本音に「それでOKだよ」「そうやって生きようよ」って許可を出せた気がしたんです。
 
「本当は純粋に生きたいよ」と叫んでいた自分の心を、救ってあげられた。
 
だからぷかぷかさんに「救われた」っていう言葉になったんだと思います。