ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

きちきちなところよりも、適当で、ゆるゆるなところの方が…

 相模原障害者殺傷事件について書いた日記にコメントがつきましたので紹介します。

●●●

実は私は福祉関係者にはなりたくない人なんです。なぜかというと、
①大変さがわかる。②障がい者と普通に接していきたい。からなんです。私は自分が支援者という立場になると教師のようになってしまうと分かっているからです。
なので高崎さんは凄いな、と思います。
正直兄に関してどうしても大変だぁという気持ちが拭えません。

さてもう一つです。
ぷかぷかの皆さんはぷかぷかに来て、「受ける事より与える事の幸福」を知ったのだと思いました。今まで世話をされていた自分がのびのび出来る環境でチャンスを与えられ自分を認めてくれる職員さん達の中で自分を発揮し「こうしたらお客さんが笑ってくれた」「声をかけたら喜んでくれた」「笑顔でいたらありがとうって言われた」「美味しいって喜んでくれた」などなどを実際に日々味わい知っておられるのだと思います。これは実の所最上級の社会性を学び身に着けておられるのではないでしょうか?、
統合失調症の方も1歳の子供に自分の愛情を与えられたのだと思います。親には愛されてたかもしれない、でもその方は自分が愛する対処が欲しかったのかもしれません。愛されるより愛する幸福を味わっておられ、結果周囲の皆さんも幸せになれる、ぷかぷかさんにはそんな幸せのサイクルが出来てるような気がします。
精神の事業所は障がい者をどちらかというと人から遠ざけ制限しようとします。
それを考えるとぷかぷかさんがこのような環境を提供出来る事は素晴らしいと思いますし勇気と度胸が必要だとも思います。

●●●

「自分が支援者という立場になると教師のようになってしまうと分かっているから」という直感がすごいと思いました。私は支援しようという気持ちが全くないだけで、だから彼らと楽しくやれるのです。「凄いな」なんて言われるほどのことはやってなくて、ただただ毎日へらへらと楽しんでるだけです。

 先日特別支援学校での演劇教育の話をぷかぷかの演劇ワークショップの進行役をやっている花崎さんがやるというので聞きに行きました。道を間違えて遅れていったので、半分しか話が聞けなかったのですが、いわゆる教育的観点からの話が多く、いまいちな感じでした。たまたま昔の友人が来ていて、「教育的な観点を捨てれば、みんなもっと楽しめるんじゃないですか」と発言し、全くその通りだと思いました。

 私が学校で芝居作りを楽しめたのは、その教育的な観点といったものを全く考えないで、ひたすらみんなが楽しいと思うことをやり続けたからだと思います。三ツ境養護学校にいた時は全校生200人くらいといっしょに一年かけて芝居作りをしましたが、ただただどうやったらみんなが楽しめるかだけを考えて芝居作りをすすめたことが、うまくいった一番の要因だったと思います。だから10年もそんな芝居作りを続けることができたのだと思います。

 教育的観点を考えてなかったので、教員としては失格だったのかも知れません。でも芝居作りにおいてはみんなが楽しむことが一番大事で、教育的観点などというものは、せっかくの楽しい時間を台無しにします。

 コメントを書いた方が「教師のようになってしまう」と書いたのは、ものすごく深い読みだと思いました。

 「支援者」も、支援の観点を捨てれば、相手との関係がもっともっと楽しくなると思います。ぷかぷかがやっている演劇ワークショップが楽しいのは「支援」する気持ちが全くないからです。

 「指導」とか「支援」といった上から目線では、人と人との関係はできないし、お互いが楽しめる時間は作り出せないのです。

 

 「愛されるより愛する幸福を味わっておられ」という指摘も鋭いですね。あんちゃんはぷかぷかさんたちにその「愛する幸福」をプレゼントしている気がします。

 「勇気と度胸が必要だとも思います」とありますが、私にはそんな「勇気」とか「度胸」といったものは全然なくて、ふつうに、適当にやってるだけですよ。すべてが適当で、ゆるゆるです。だからうまくいってるのだと思います。

 統合失調症の方に相談機関に行きたくないのはどうして?って聞いたとき、「きちきちなのがいやなんだよ」っていってました。よく見てるな、と感心しました。そこには人としてのおつきあいがないのだと思います。「支援」される側こそ、「支援」の本質を見抜いている気がします。きちきちなところよりも、適当で、ゆるゆるなところの方が居心地がいいと、ぷかぷかを選んでいるようです。