ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

支援はしていたけれど、人として出会ってなかった

 ぷかぷかの本を出す出版社の方と打ち合わせをした時、相模原障害者殺傷事件が話題となり、「どうして福祉事業所の職員だった人が、あんなことをやったんですか」と聞かれました。そのときはうまく説明できなかったのですが、その問いだけはずっと気になっていました。

 障がいのある人たちに一番接している人がどうしてあんなひどいことをしたのか。やっぱり障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」のではないかと思います。支援はしていたけれど、人として出会ってなかった、ということです。人として出会っていれば、多分あそこまでひどいことにならなかっただろうと思います。そこに「人であることの意味」があるように思います。

 

 私は養護学校で働き始めた頃、障がいのある人たちに自分が人であることを気づかせてもらったと思っています。彼らのそばにいると、ただそれだけであたたかい気持ちになりました。やさしい気持ちになれました。

 会社勤めをやっている頃はそんな気持ちになったことはありませんでした。仕事でおつきあいする人のそばにいて、あたたかい気持ちになったり、やさしい気持ちになったことはありませんでした。人としての感覚を忘れていた気がします。

 障がいのある人たちとおつきあいが深まる中で、月並みですが、人間ていいなってしみじみ思いました。彼らのそばにいて、あたたかな気持ちになれる感じが、なんともいえずよかったのです。障がいのある人たちが、人としての感覚を呼び覚ましてくれたと思っています。

 立場上、私は教員でしたが、教員である前に人として彼らの前に立っていた気がします。彼らとの楽しい日々の中で、つい教員であることを忘れ、人として彼らの前に立ってしまっていた、という感じです。

 

 以前も書いたことですが、こんなことがありました。クラスのみんなで大きな犬を紙粘土で作ったときのことです。小学部の6年生です。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、けんちゃんにちょっと質問してみました。

「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」

「あのね、あのね、あの……あのね…、え〜と、あのね…」

と、一生懸命考えていました。なかなか答えが出てきません。

「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」

と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれを見て更に一生懸命考え、

「そうだ、わかった!」

と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、

「おさかな!」

と、思いっきり大きな声で答えたのでした。

 一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、思わず

「カンカンカン、あたりぃ! 座布団5枚!」

って、大きな声で叫んだのでした。

 それを聞いて

「やった!」

と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こっちまで幸せになってしまうような笑顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対トク!、と理屈抜きに思いました。

 もちろんその時、

「けんちゃん。これはおさかなではありません。犬です。いいですか、犬ですよ。よく覚えておいてくださいね。い、ぬ、です。わかりましたか?」

と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。むしろこっちの方が一般的であり、正しいと思います。まじめな、指導に熱心な教員なら多分こうしたと思います。

 でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっているように思いました。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。

 あの時、あんな素敵な言葉に出会えたこと、そしてけんちゃんに出会えたこと、それを幸福に思っています。幸福に思うことこそ、人と人の関係では正しいのだと思います。だからけんちゃんと私の間では「おさかな!」が正しかったのです。

 

 容疑者が、障がいのある人たちとこんな出会いをしていれば、あんな惨劇は絶対におきなかったと思います。

 優生思想を超える、といった小むつかしい話ではありません。彼らと楽しい出会いをすること、ただそれだけで、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を変えることができると思うのです。