ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

ちょっとだけが5年分積み重なって

 先日「見当違いの努力をしてきました」

pukapuka-pan.hatenablog.com

を載せたところ、いろいろご意見いただきました。その一つを紹介します。

 

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今、まさにうちでは見当違いなことを必死でやっているのでは?と感じずにはいられませんでした。

小さい子供のいる家庭では、障害の有無に関係なく、育てていて「あーしてはダメ」「こーしてはダメ」

ダメダメの否定語を子どもたちにシャワーのように浴びせている気がします。

「まーまーいいじゃない。やらせてあげなさい」と言ってくれる人が周りにおらず、お行儀の悪いこと、目立った行動をさせてはならないという

子供達の言い分や主張を無視した、大人目線のしつけです。

もっとおおらかに、自由に育てたいという思いは、必ずどの親も持っているはずだと思います。

反面、周りに迷惑をかけてはいけない。という見えないプレッシャーがあるのです。

障がい児のいる我が家では、大勢の人の集まる場で大声をあげたり、暴走したりして迷子になることはしょっちゅうです。

外出するにはちょっとした覚悟がいります(決して大げさではありません)

静かな場で大声を出したらすぐ退散

外へ出てと苦情を言われることもしばしば(言われても凹まない心が必要)

自由に走り回るので常に目を離せないのはもちろん、すぐ見つけ出せるように目立つ服を着せたり、気をそらせるためのオモチャやお菓子は必須です。

外見では分からないので、子供の行動にあからさまに嫌な顔をされたり、同じ障害の子供を持つお友達は、公園で遊んでいても「一緒に遊んではダメ」とは言わないものの

「あっちへ行ってはダメ」と自分の子供から遠ざけられたという親御さんもいます。


「この子には障害があります」と言ってまわれば反応は違ったのでしょうか?

障害があるから何でも許させる訳ではないのは百も承知です。

でも、障害があるが故に大勢の人が集まって嬉しすぎて「キャー!」と声を出してしまったり、逆に不安になって逃げ出してしまう。

健常者から見て不思議(不気味?)な行動にも、全て理由があることを知ってもらっていれば、「外へ出ろ」の言葉は出てこないのでは?と感じるのです。

大声で同じセリフを繰り返し言っていても

「あーそうやって心を落ち着かせているのかな」「好きなアニメのセリフかな?」「きっと不安なのかもしれない」と

理解してもらえるのではないかと思います。

障がい児を持つ親は(少なくとも私は)精神・体力ともに疲れます。将来を考えると不安です。

こだわりの強さからの育てにくさや苛立ちは毎日です。

正直かわいい我が子でも、放棄したくなる時もあります。

だからこそ「早く○○できるように」「○○しないように」 何より「人に迷惑をかけないように」と思ってのことです。

それが ’’見当違いの努力’’ だとしたら・・・

なんだか気持ちが楽になります。

社会の人たちに育ててもらえたら。そのままでいいんじゃない?と個性として見守ってくれる社会だったらどんなに楽だろうを思いました。

障がい者、健常者の区別なく、皆がいっしょに個性を認め合っていけたらと思います。

辻さんを不思議そうに見つめる男の子の目は、本当にかわいいです。

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 ツジさんの不思議なパフォーマンスと、それを不思議そうに見つめる子ども。

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子どもの目にはどんなふうに写ったのでしょう。この子が大きくなって社会を担うようになった時が楽しみです。

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 「見当違いの努力」と思いつつ、それでも周りからうるさくいわれれば、やっぱり辛いし、へこんでしまいます。「まわりに迷惑をかけないように」とつい思ってしまうのですが、障がいのある人の側にそれを求めるのは、かなりむつかしいものがあります。

 そういうことをある程度理解できる方はともかく、理解がむつかしい方がたくさんいます。そういう場合は、親子で小さくなって生きるしかないのか、となりますが、一方が我慢しているだけで、ここに横たわっている問題は、何も解決しません。

 ここにある問題とは、障がいのある人たちを「迷惑だ」と社会から排除してしまう時、排除した社会の側がどんどんやせこけていく、という問題です。多様性をなくした社会は、お互いとても窮屈になります。自由とか、自分らしくある、といったことがどんどん制限され、息苦しい社会になります。

 

 ぷかぷかはこの問題に対し、とにかくお互い知り合う機会を毎日の暮らしの中に作り出そう、と街の中に障がいのある人たちの働く場を作りました。パンを買いに来たついでに、あるいはカフェの食事をしに来たついでに、彼らとちょっとだけつきあってみよう、というわけです。あいさつを交わす、ちょっと言葉を交わす、彼らの身振りを見る、そういうちょっとだけのおつきあいです。

 そのちょっとだけが、それでも日々積み重なると、彼らのことが少しずつわかってきます。そうしてそのちょっとだけが5年分積み重なって、彼らに会うと心が癒やされる、という人が増えてきたんだと思います。

 この変化がすごいですね。彼らのおかげで、街が本当に変わってきたんだと思います。「彼らを理解しよう」とか「彼らといい関係を作ろう」とか言い続けたせいではなく、彼らの存在が、街を変えたのです。

 彼らが、彼ららしく、そこにいること、そのことで街が変わってきた、ということです。

 感想を寄せてくれた方が「障がい児を持つ親は(少なくとも私は)精神・体力ともに疲れます。将来を考えると不安です。」と思わなくてもすむような環境ができつつあるんだと思います。 

 

★あなたの感想、ぜひ聞かせてください。

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