ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

なんか、息子を見ている感じになってきて、愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。

 ぷかぷかのファンの方が、何度ぷかぷかに通っても、ついつい教育者目線になっていたり、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいて、なんだかよくわからなくなって、思い切って演劇ワークショップに参加。ぷかぷかさんとの関係が一挙に変わったお話です。

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 算数・数学が苦手な子供たちの学習支援ボランティアをしていく中で、生きづらさを感じている子どもたちと接する機会が多くあります。この生きづらさは何だろう。社会が大人がギスギスイライラしているから?常に評価の中にさらされて、「できない」を「できる」にすることを良しとする学校?みんなある程度同じ枠の中にいないとおかしい?この子達は見えない圧力を感じているんだろうなあと思いました。この子たちが生き生きと過ごせる社会はどんな社会?全ての人たちに優しい社会はどんな社会?私には何ができる?などなどいろいろ考えながら、大したことはできないけど「こんな社会に負けるな!おばちゃんと一緒に頑張ろう!」「社会を変えることはできないけど、とりあえず一緒に乗り越えよう!」との思いで今まで子供たちと過ごしてきました。申し訳ないことにこの全ての人たち、子供たちの中に、障害をもった人たちが無意識に入っていませんでした。障害をもった人たちは支援される人たちで分けるとか分けないとか考える前に、私の中では最初から違うところにいたんだと思います。

 

 3年前、息子が働いている放課後等デイサービスでボランティアをして初めて障害をもった子供たちと接しました。その時、「この子達には社会を変える力がある!」「社会の宝だ!」と何だかよくわからないけど感じるものがありました。それからぷかぷかさんのFBを見るようになって、高崎さんのブログを読んでいくうちに、社会に必要なのはこれだあ!って思いました。でも実際にぷかぷかさんたちと、高崎さんのいう「お付き合い」をしたわけではなく、所詮、人が感じたことを見て読んでいるだけで頭で考えていることにすぎないわけで、果たして私はぷかぷかさんたちと「お付き合い」ができるのか、みんなが耕された癒される豊かになったって言ってるけど、自分は感じることができるのか、本当に「トク」と思えるのか確かめたいと思いました。ぷかぷかさんに会いに行ったり、ご飯を食べに行ったり、パン教室に参加したりしました。

 通ってわかったこと。ついつい教育者目線になっている自分がいて、上から目線のつもりはないのだけれど、どうしても「してあげる」というスタイルが抜けない自分がいました。「お付き合い」に方法も正解もないのでしょうが、なんだかわからなくなってきたので、おもいきって演劇ワークショップに参加することにしました。大正解です。色々な表情のぷかぷかさんたちと時と場所を過ごしていたら、いつの間にか一緒にいると楽しくて、ぷかぷかさんたちがお友達になっていました。これがフラットな関係なのかな?って思いました。

 ワークショップに参加している間、高崎さんから何度も感想を求められても書けなくて…なんで感想が書けなかったか。私の心が想像以上に固くワークショップ前半は教育者目線が抜けなくて、さらに自分の考えていることがあたかも障害をもった方を社会や健常者のために利用しているかのように思えてきて…なかなかしっくりこなかったから…ワークショップが終わってやっと書けそうです。

前置きが長くなりました、以下感想です。

 

 練習は終始、ゆる~く始まりゆる~く進みます。せのーさんは練習中すぐにいなくなっちゃいます。だから、いつも「せのーさんは?せのーさんは?」って気にかけながらやります。それが狸さんチームの中で、狸さんチームのみんないる?になって…みんないるね?になって。誰も「またせのーさんがいないよう!」なんて言わない。あったかいんです。

 しょうくんは、いたずらんぼさんで、人一倍恥ずかしがり屋で私の上に乗っかったり甘えてきたり、やんちゃばかりしていました。

 でもリハーサルぐらいからスイッチが入って立派なオオカミを演じて、最前列で最高の笑顔で歌って、最後の感想を言った時はしゃくりあげるほど泣きながら頑張った想いを話してくれました。なんか、息子を見ている感じになってきて愛おしくて思いっきりもらい泣きしてしまいました。

 ももちゃんは男の子たちのお世話役。お姉さんというよりもお母さん。いつも、「あ~あほんとにもう」と笑いながら手のかかる?男子のお世話を一緒にしました。

 恥ずかしがり屋のみっちゃんは、初めはお顔も見れなくてお話もできなかったのが、最後のほうではニコッと笑ってくれるようになりました。

 ゆみっちは、おはよーってハイタッチ&ハグ。最上級のウェルカムがもの凄い嬉しかったです。

 コンビニの店員を一緒にやったちかちゃん。こうしようああしようと一緒に考えて練習して、いつも一生懸命がとても心地よかったです。

 狸さんチームの名役者ヨッシー。彼のまっすぐな表現力には本当に助けられ、私たちのモチベーションをあげてくれて、狸さんチームを盛り上げてくれました。

 くもさん、ナメクジさん、ミツバチさんチームのぷかぷかさんたちとも一人一人ほんとにいろいろなことがありました。で、思ったんです。なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!

 舞台が終わって解散した時、せのーさんが「ありがとう。」って。今までこちらから話しかけて少し会話はあっても、せのーさんの方から話しかけてきたことは一度もなく、嬉しくって涙が出ました。

 ぷかぷかさんたちが作った迫力満点の背景画、魂のかたまりのような文字、小道具も一つ一つとてもセンスが良くてほんとにすごくて、舞台の上でみんなと一つになって、私もいっぱい笑って大きな声で思いっきり歌って、自分が自分にびっくりでした。みんなそれぞれのありのままを表現していて、人としてとても大切なことを教えてもらえたと感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして、ぷかぷかさんたちの周りにいるこのワークショップに関わった全ての方たちも本当に暖かくて、ぷかぷかさんたちも最高なんだけど、ここに集まってきた方たちも最高で一緒に過ごせて本当に幸せな時間でした。この出会いはぷかぷかさんたちのおかげです

 最後に輪になった時、演劇指導をして下さったせつさんが、この演劇は誰も損なわない、お話に演出に自分を合わせていくのではなく、ありのままを表現して作っていく演劇だとおっしゃっていました。ありのままの自分でいること、いられること。今の社会では難しくなっていると思います。

 表現の市場が終わってとっても寂しかったけど、またここからぷかぷかさんたちとの「お付き合い」の始まりなんだと思ったらすごく楽しくなってきました。

 今でも、頭の中で「広場のうた」や「うんこのうた」がずーっとグルグル廻っています。

 今回演劇ワークショップに参加して、今関わっている子供たちの可能性をさらに信じ、寄り添える自分に少しはなれたかなと思います。これもぷかぷかさんたちのおかげです。

 本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

                             (ともちゃん)

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《なんだ一緒じゃん。障害があるとかないとか関係ないじゃん。確かに出来ない事や助けてもらう事は多いかもしれないけど私だって出来ない事いっぱいあるし、ぷかぷかさんたちにいっぱい助けてもらったり、大切な事をたくさん教えてもらった。なんでこんな当たり前の事がわからなかったんだろうって。当たり前なのに!》

 演劇ワークショップはみんなで芝居を作る場です。でもそこでは演出家が決めたとおりに芝居を作っていくのではなく、みんなで「あーだ」「こーだ」いいながら作っていきます。地域の人たちが引っ張っていくのではなく、ぷかぷかさんと地域の人たちがどこまでもフラットに、一緒に作っていきます。だからこういう気づきが出てきます。

 演劇ワークショップは、ただ単に芝居を作るだけではなく、そういう新しいことに気づく場、関係なんだろうとあらためて思います。

 

 1980年代の初め、フィリピンから入ってきた演劇ワークショップに参加しました。それはもう目が覚めるような体験でした。一番感じたことは、演劇ワークショップの場で、人は限りなく自由になれる、ということです。

「これ、養護学校の生徒たちとやったら、今までにない新しい関係が生まれるんじゃないか、そこから新しいものが生まれるんじゃないか」

と、自由な空間が生み出す新しいものへの強烈な予感がありました。

 で、横浜から東京練馬区の田舎にあった黒テントの事務所に何度も足を運び、養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒にやるワークショップの進行役をお願いに行きました。そのときの相手が、今、表現の市場で舞台監督をやってくれている成沢さんです。

 

 あのときの予感が、今、こうやって花開いている気がするのです。

 舞台が終わって、セノーさんに「ありがとう」っていわれ、その一言に

《 嬉しくって涙が出ました 》

っていう関係。

 みんながね、輝いていたなって思うのです。

 

 

ぷかぷかさんと一緒に立った舞台、やり切った感、ハンパなかった。涙がこぼれ落ちてしまいました。

 栃木から毎回新幹線を使ってワークショップに参加した親子のすばらしい感想です。これほどまでの言葉を引き出すぷかぷかさんの存在の大きさをあらためて思います。

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1・また来ます!

あふれ出る涙がとまりませんでした。本番終わってみんなで輪になったとき、“泣かんよ。笑顔で終わるとよ”って決めていたのに。今日で終わりか、また会いたいな。そう強く思いました。      始発のバスに乗って新幹線へと乗り継ぎ、約3時間の道のり。月一回とはいえ、最後までやりきれるかいな… どうしようかと迷いました。その一方で、やまゆり園事件の被告と底流で繋がっていると言う息子… なら、一度一緒に体感してみればいい。高崎さんの言う「障害のある人と一緒に生きると豊かになる」って何が豊かになるのか、何がトクなのかを。半年間一緒に過ごしたら何か感じることがあるかもしれんよ。親子であーだこーだの意見交換… えーいっ!やらない後悔よりする後悔!そんな思いで息子と参加した演劇ワークショップでした。

 

2・おぉ、楽しい!

やっていくうちに腹の底から楽しくなってくるのです。初めの頃は照れやちょっと取り繕いながら、自分を隠したりカッコつけたりしていたけど、だんだんと弱いところもさらけ出しながら、自分が表現豊かになっていくように感じてくる。回を重ねるたびに新しい発見がありました。

Aと質問したら、Bと返ってくるだろうという今までの人生観では全く歯が立たず、私の予想をはるかに超えてくる。そうくるか、そういうのもありやんね、そりゃそうだ、ごもっとも。みたいな、そんな感動体験が私をいつまでも惹きつけてはなしません。それにみんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、涙がこぼれ落ちてしまいました。本番直前、廊下の片隅でセノーさんと手を繋ぎ練習したときのあのいい表情も脳裏に焼き付いて離れません。

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3・息子がやるべきこと

発表会前日。6回目のワークショップを私は法事で欠席したため、休んだ分大丈夫かなと不安でたまりませんでした。それに輪をかけて不安なことが私にのしかかってきました。今までなんだかんだと言いながらも一緒に参加してきた大我が「ワークショップには行かない。部活に行く」と言い出しました。聞けば、大我の所属している社会福祉部でのボランティア活動とワークショップが重なっていたらしく、はじめの頃は理解してくれていた先輩も、毎回毎回休むので、「学校の部活が優先だろ」と先輩からつっこまれ、副部長だったのを下ろされたと言います。

そんなこととは知らない私は、どうしたものかと気をもみました。でも、板挟みになりながらも、誰にも言わずぷかぷかさんを一番に考えてやってきたのだからやっぱり、最後まで参加してほしいと願いました。大我もいろんな葛藤や思いがあったと思います。でも、舞台に出ると決め、一緒に舞台に立ってくれたことは、嬉しかったことの一つでした。

 

4・人と人をつなぐもの“表現の市場”

ワークショップに参加してこの半年、たくさんのことを感じ、たくさんのことを学ばせていただきました。お芝居を一緒につくり、舞台に立つという同じ目標に向かって協力しながら、終わったときはハイタッチして喜びを共有した。同じ目標に向かって取り組むこと、気持ちを分け合うことができるこのような場が私も日常的になればいいのになと思いました。

このような取り組みはいつしかできてしまった健常者と障がい者のカテゴリーを「人間はどんな境遇にあろうともどんな障害をもっていようとなかろうと人は人」という思いで結びつける。今まで障がいのある方と接するとき支えてあげなきゃと、上から目線でのボランティア活動しかやってこなかった自分を振り返り、見つめ直すいい機会をいただけたと思っています。新幹線は利用しましたが、それ以上にお金では得ることのできないすっばらしい経験をさせてもらいました。親子で最後まで参加できて本当に良かった。

今、思えば大我の宿題がきっかけでぷかぷかパン屋さんの新聞記事を読み、テレビの番組で高崎さんを見て、ブログでワークショップを一緒にやる方募集中と知って、ぷかぷか映画の試写会へとつながったのは偶然ではなく私たち親子にとって必然だったのだと、そう思わずにはいられません。大我は何がトクなのかわからんかったと言うのですが、ワークショップに参加して悩んだり後悔したり考えて自分と向き合ったこと自体が、何も考えずに過ごす人生と比べてもうすでにたくさんトクしてるって大我に伝えました。

私が最後に泣き崩れてしまったとき、ボルトくんが背中を支えに来てくれました。彼はずっと大丈夫?と声をかけてくれていました。私が落ち着くのを待って手をはなそうとする時も「もう手をはなしても大丈夫かな?」「放すよ、いいかな?」って言って自分の席にもどられました。今まで生きてきてこんなに優しい言葉をかけてもらったことがあったかいなと、やさしさが心に響いて本当に癒されました。彼のやさしさに心から“ありがとう”と言いたいです。誰かと心で繋がれることって何よりも力になる。私も人の喜びや悲しみにそっと寄り添えることができる人間になりたいと思います。

 暖かくなったら、今度は働くぷかぷかさんの姿を見に行くつもりです。今からワクワク楽しみにしています。

高崎さん、こんな親子を受け入れてくださってありがとうございました。

                              (きょんたん)

                                    

 

 《 なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。》

中学二年生の夏休み。「相模原殺傷事件」が起きた。「障害者は生きる価値がない」と。あまりの衝撃に朝起きて顔も洗わず、テレビのニュースにしがみついていたのをよく覚えている。

僕は被告のような思想は誰の心にもあるのではないかって、それがずっと心の奥で引っかかってきた。例えば街で障害者の方が突然大きな声を出す様子に嫌悪感を抱き、関わりたくないと思ってきた自分。中学生になり、知的障害者施設にボランティアに行こう!と誘われたときに、障害者の方は怖いという勝手な思い込みで、「行きたくない。それだけは勘弁して」と言い張った自分。それは僕も無意識に差別する側に立ち回っていて、被告の発想と心の奥底で繋がっているのではないかと。僕の心は弱くて醜い。“やっぱ俺は、クズだな・・・”と思ってずっと過ごしてきた。

一年後の夏休み、“新聞を読んで感想を書こう”という宿題のため新聞の記事を探していたら、〝障害者と一緒 豊かな生″という見出しに目が留まった。ぷかぷかパン屋さんの記事だった。僕はなぜかその記事を捨てずに取っていた。高校生になったある日、たまたま付けたテレビ番組にぷかぷかさんや高崎さんがでていてあの新聞記事とリンクしたことに少し驚いた。母からワークショップに誘われたときは、どうしようか悩んだが、高崎さんのいう豊かになるってなんだろう、それが知りたくて確かめたいと思った。

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(2017年7月25日朝日新聞)

 

ぷかぷかさんと接してきておもしろかったり、ときにはむっとしてしまったり、いろいろあったけれど、何よりも僕は人前で表現するとかが嫌で嫌で、そこから逃げていた自分だったように思う。リハーサルの日もそう。僕にも役があり、しかもオオカミのかぶりものまであるとわかったとき、やっぱり今日は部活にいっておけばよかったなと後悔した。舞台に立つなんてなれないことに身体はどっと疲れた。しかし、ぷかぷかさんたちはニコニコ元気、とてもいい笑顔だった。疲れた顔をしているのは僕だけで「なんでこの人たち笑っていられるんだろう」と不思議だった。その姿を見ていて、ぷかぷかさんたちはやらされてるとかでなくて、自由にありのままの姿で表現することを楽しんでいる。特に一緒にオオカミ役をやったしょうくん(こうきくん)が♪なんでもいいから一番になーれ♪と歌っている姿がきらきらと輝いてとっても印象的だった。僕にはやらされているという気持ちがずっとどこかにあった。ぷかぷかさんと僕の違いはそういう心の違いだと思った。

本番当日。舞台も終わり、最後に円陣を組んでみんなの意見を聞いていたとき、しょうくんが泣きながら、この演劇に対しての思いを話しているのを聞いて、心にぐっと突き刺さるものがあった。僕の前で悪ふざけしたり、おどけてみせるしょうくんしかみえていなかったので、あんなしっかりした思いで頑張ってきたんだと、それに比べ僕はなんなんだ。本番はでたくないと、なんか駄々をこねている小学生のようだったと恥ずかしくて穴があったらはいりたくなった。そして、元気の出ない僕に「着替えよう」とか「頑張ろう」と声をかけ続けてくれたしょうくんや、相手を思いやり大切にするぷかぷかさんたちの姿をみて、生きる価値がないなんてとんでもないぞ。なんて生きる価値のある人たちだろうと思った。

一緒に参加した母はこの半年、本当に楽しそうだった。最後に母が泣いているのを見たとき、この人はぷかぷかさんたちと心と心で向き合って同じ気持ちを感じてきたんだなと思った。

来年は部活を頑張ろうと思う。でも、いつか大学生とか社会人になって、また改めて参加してみたい。そのときは母に負けないように心の底から楽しみたいと思う。高崎さんのいう何が豊かになるのか今の僕にはまだわからないけれど、恥ずかしくてたまらんかった舞台に、ぷかぷかさんたちと一緒に立ててよかったと今、思っている。ありがとうございました。

 

しょうくんへ

僕なんかと一緒にオオカミ、やりにくかったよね。ごめんなさい。そしてありがとう。

いつかまたしょうくんと一緒に豚でも馬でもなんでも、タッグを組んでやりたいです。                                

                                (タイガ)

                                        

 

 

 

障害を持っているからと言って人間として劣っているなんてところは一つもない。

 桜美林大学の1年生の学生さんがサービスラーニングという授業の一環でぷかぷかにやって来ました。サービスラーニ ングとは、大学での授業とフィールドでの活動を両輪にして動く学習のことであり、教室での学びである学術的知識を 地域社会への貢献に活かし、地域が抱える課題を住民の方達と共に解決していくことを目標とする授業だそうです。

 「課題を共に解決する」はともかく、ぷかぷかさんとの出会いは学生さんをずいぶんと揺さぶったようでした。その新鮮なレポートを紹介します。

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1,支援を超える障害者との共生

 私は小学生の時から地 元の手話サークルに参加をしたり、中学生になってからは積極的にボランティア活動も行ってきた。今までに参加した ボランティア活動は、老人ホームのお手伝い、児童保護施設訪問、障害者が働く工場のお手伝いなどさまざまである。 どのボランティア活動でも共通していたことは「支援」をしてあげている、ということだ。健常者である自分たちよりも劣 っている高齢者・障害者の方々のために何かをしてあげる=ボランティア活動だと思っていた。しかし、この授業でぷ かぷかさんたちと関わらせていただいたことにより、これまでの障害者に対する印象やボランティアについての考えが 変わってきたのだ。

2. 障害を持つ人の豊かな発想

この授業で障害者と社会の関連について学ぶ上で最もお世話になったぷかぷかさん。彼らと実際に交流してみる と、障害者だからと言って私たち健常者よりも劣っていないということがはっきりと分かった。そう気づいたきっかけは 2018 11 17 日に行われたぷかぷかの演劇ワークショップだ。このワークショップは、様々なテーマやお題をもとに、 グループごとにダンスや演技を創造していくというものだった。いきなり「ウサギとカメ」の物語で、カメがウサギに勝っ たのはなぜかを自分たちで考え、演技をするというお題が出された。私は元の物語を知ってしまっていて、他のストー リーがなかなか思い浮かばず、考え込んでしまった。だが、ぷかぷかさんたちは悩むことなく面白いストーリーを次々 と提案していた。中にはカメの甲羅を外すと足がとても速くなる、といった斬新な考えを持つ人もいた。

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 また、先日行った桜美林大学とぷかぷかの交流企画である書道アートワークショップ。言葉を考えてみたり、絵で 表現したり、とたくさん頭を使うようなことをした。しかしこの時もぷかぷかさんたちは話していたことをさらに想像して、 より素敵な絵を描いたり、文字の大きさまでもが自由で誰にも・何にも縛られていないことが改めて感じられた。自由 で豊かな発想を持っている。縛られることなく自由な発想を持っていてとても素敵だな、と感じた。また、彼らを尊敬し た。障害を持っているからと言って人間として劣っているなんてところは一つもない。

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3.
障害者の魅力・ “一緒に生きていった方が得“という考えについて

  ぷかぷかさんたちは 2 章でも述べたように、自由で豊かな発想を持った素敵な個性のある方々なのだ。計算の早 い人、絵が上手な人、いろいろな個性を持っている。この個性というのはその人の強みでもあるのだ。つまり魅力とい うことになる。

 また、ぷかぷかのホームページにはこんな言葉が書かれていた。 『「ぷかぷか」では、障害のある人達が働いています。私は、彼らと一緒に生きていきたくてお店を立ち上げました。一 緒に働いていると、心がなごみます。楽しいです。元気になります。お店を始めてから、彼らとはやっぱり一緒に生き ていった方がいいなって素直に思えるようになりました。そういった思いを』たくさんの人たちと共有できたら、都思って います。そうして、たくさんの人たちが「彼らとは一緒に生きていった方がいいね」って、素直に思えるようになったら、 お互いが、もっと生きやすい社会が実現するように思うのです。』

 正直、このメッセージを初めて読んだときになぜ障害者の方々と一緒に生きていった方がいいのかとただ単純に疑 問に思ってしまった。あまり障害のある人と関わったことがなかったり、ボランティア活動をしたことのない人なら私の この気持ちを理解してくれるだろう。しかし、ぷかぷかさんと実際に交流を深めていくと絶対に障害を持った人と一緒 に生きていくべきである、と強く思った。高崎さんの言葉を借りるならば、「障害者と一緒に生きていくほうが得である」 という意見に賛成だ。

自分なりに一緒に生きていったほうが得であるという言葉の意味を考えてみた。考えたというよりは感じたというべ きかもしれない。それは、障害を持つ人の創造力・行動力・自由さに触れることにより自分自身の考えや行動が奮い 立たせられる。関わったことで自分を今よりも高めることが出来て、成長していくことが出来る。それが得だと感じるの ではないかと思った。

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 この授業は桜美林大学の林先生が企画したものです。林先生は以前神奈川県が企画したNPOと大学、企業を結ぶマッチングの集まりで、私が「障がいのある人とは一緒に生きていった方がトク!」と何度もいっているのを聞いて、「何、そのトク!って」と疑問に思い、ぷかぷかまで見学に来ました。その後演劇ワークショップに参加し、ぷかぷかさんたちと一緒に芝居作りをすることの、とてつもない楽しさを知ります。そしてとうとうぷかぷかさんと一緒に舞台に立つところまで行ってしまいました。「何、そのトク!って」と思ったことがきっかけで、とうとうぷかぷかさんと一緒に、照明がバチッと当たるプロ仕様の舞台に立ってしまったのです。そうしてようやく「トク!」の意味を納得し、授業を企画したようです。ですから「トク!」に関してはスジガネ入りの先生なのです。

 そういった思いが学生さんにもしっかり伝わっていたようで、学生さんもぷかぷかさんとの関わりの中で「トク!」の意味を納得したようです。 

 

 レポートを読むと、ぷかぷかさんが社会にいることの「新しい意味」「新しい価値」が見えます。何かをやってあげる対象であったり、あれができないこれができない、社会のお荷物、といったマイナスの価値を帯びた存在ではなく、出会う人を豊かにする存在であること。それが「新しい意味」であり「新しい価値」です。そのことを実感できる授業だったようです。

 

 レポートに中に

「障害を持っているからと言って人間として劣っているなんてところは一つもない。」

ということばがありましたが、そこまで感じてくれたんだ、とすごくうれしく思いました。これがぷかぷかさんとの出会いです。

 こういうことはことばでいくら言ってもなかなか伝わりません。彼らとのいい出会いこそが、実感としてそれを伝えます。学生さんがそれを感じ取ってくれたことは、ぷかぷかさんたちと本当にいい出会いをしたのだと思います。

 

 こういう授業を組む大学がもっともっと出てくるといいと思います。福祉を単なる知識として教えるのではなく、障がいのある人たちのとの出会いを大事にするような授業です。学生さんたちの人生が豊かになること間違いなしです。

 

 

 

 

 

学生さんとぷかぷかさんが一緒に絵巻物作り

 ぷかぷかの近くの創英大学でぷかぷかさんとの出会いを振り返るために、それぞれで詩を作り、それをまとめて「みんなの詩」にしました。

 ぷかぷかさんに出会う前と出会ったあと、自分の中にどんな変化があったか、をテーマに4〜5行の詩を書いてもらいました。それをグループの中で発表したあと、詩を一行ずつ切り離します。それぞれのことばをシャッフルし、似たようなことばを集め、「みんなの詩」として構成し直します。

 

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そうやってできあがった詩がこれ。


(Aグループ)

すべてドキドキのはじまり

そして、人生ドキドキのはじまり

 

生きているということ

出逢う前は ただの創英生

 

不安だったこと

出逢いのすべてにドキドキ

どっきりということ

 

どっきりして

知らない人とわくわくしながら出逢うということ

 

生きているということ

人と出逢うということは

多種多様なこと

 

関わり 知っていくこと

触れ合ってみたこと

緊張したがワクワクだった

 

出逢った瞬間に地域の一員

うれしいこと

楽しいこと

わくわくして

ほろりとして

 

みんなと話しをした思い出

知っていき仲良くなること

共に過ごした仲間の一人

 

感謝することもドキドキするということ

楽しかったということ

いとおしくなる

 

その出逢いは大切だったこと

 

生きているということ

一日を楽しむということ

 

これからの時間で何にでもなれる

 

生きているということ

 

 

(Bグループ)

あなたは誰?

何を思い何を感じているの?

考えているの?

 

初めての関わりが

できるか不安でいっぱい

 

関わりづらい

うまく関われるかな?

分からない

 

わたしは私

こちらから手を差しのべるのではなく

 

積極的

個性がある

 

自由ということ

すなおに言えば

あなたから笑いかけてくれた

楽しみだった

すぐに仲良くできた

 

にっこにこ

たくさん笑顔になった

 

それだけで私はしあわせ

 

笑顔でいればそれでいい

わたしと一緒

 

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 この詩はぷかぷかさんと学生さんたちの出会いの物語です。共生社会を作ろうとか共に生きる社会を作ろうとか、そんなことは全く考えなくて、ごく普通に出会った物語です。出会えてよかったね、って思えるようなすてきな出会い。

 創英の学生さんは授業以外に、それぞれ三日ずつぷかぷかに体験実習に来ました。ぷかぷかさんを大学に呼んでクリスマス会もやりました。たくさんのいい出会いがありました。その体験を元に作った詩がこれです。

 学生さんと話をする中で、この詩を元にぷかぷかさんに絵を描いてもらい、絵巻物を作ることを思いつきました。

 詩の中から印象的なことばを20ほど選びます。そのことばを元にぷかぷかさんに絵を描いてもらうのです。一つのことばに対して模造紙1枚の絵を描きます。20ことばがあれば模造20枚の絵ができあがります。その20枚を繋いで壁に張り出せば、壮大な絵巻物ができあがります。

 ことばの選択、構成は学生さんがやります。その選んだことばをぷかぷかさんに説明し、絵を描いてもらいます。学生さんとぷかぷかさんの共同作業で、絵巻物ができあがっていきます。

 10月に文化祭があるそうなので、プレイルームを借りて、壁に絵巻物を飾ります。小さな子どもがたくさん遊びに来るそうなので、その子どもたちに、ぷかぷかさんとの出会いの物語が伝わるような絵巻物にします。学生さんとぷかぷかさんたちのすてきな出会いの物語が、絵巻物を通して小さな子どもたちに伝わります。「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「その方が楽しいよ」というメッセージです。

 

 相模原障害者殺傷事件以降、あちこちで様々な議論がわき起こっています。あーだこーだの議論も大事ですが、やはり障がいのある人たちと新しい関係を作り、そこから新しいものを具体的に生み出すことこそ大事な気がします。絵巻物を学生さんとぷかぷかさんの共同作業で作っていくことは、事件を超える社会を作るための小さな一歩になります。

 

(学生さんたちの感想)

・初めての詩を書いてみて、ものすごくできるか不安だったけれど、ぷかぷかさんと出会う前、出会った後へと自分の気持ちを他のみんなと協力して1つの作品を作るという経験ができて良かったです。

 

・今日は、個人で詩を書いた後、グループで1つの詩ををつくりました。自分がつくるのにも苦戦したのに、さらにグループでつくれるのか、不安だったけれど、1つの詩をつくることができて、心にぐっときました。このような経験は少ないので良かったです。

 

・全員がそれぞれ思ったことを分解して、1つの文章(詩)にすることは初めての経験で

おもしろかったです。

 

・詩を作るという作業は難しいと思ったけれど、4~5文でもそれぞれが感じたこと、思ったこと、考えたことを各々の言葉で伝えられ、全体でまとめ1つにできたことに驚いた。

 

・今回ぷかぷかさんと関わり、いろんなことが学べました。もともと障害に関わっていましたが、その時とぜんぜん違っていた。とても楽しかったし、また行きたいと思います。

 

・今回、詩を作ってみて自分の思いを4行でまとめるのは難しかったですし、グループ内でつなげてみてバラバラな分でも1つになることがわかった。

 

・詩づくり、初めての体験でした。私は何か詩っぽい言葉で書いた方が良いのかと思っていたら、違ったり、初めましての時は、不安な人が多かったり・・・ とにかく違う事が多くても、よく詩になったと思います。

 

・ぷかぷかさんとの出逢いや過ごした時間を、いざ4~5行の言葉にまとめるのは、なかなかに大変だと感じた。そして、個人で書いた詩をバラバラにして並べ変えて1つの詩にするなんて、難しいことをするなぁと思いましたが、意外ときれいにまとまって驚きました。詩を書いていて思ったのは、とても4~5行で気持ちがまとまらないほどあふれていたんだと感じたことです。

 

・一人ひとりの思いを言葉にして、みんなの思いを1つにしてみるという体験をして、思いというははじまりからおわりまでつながるんだと実感できました。楽しかったです。ありがとうございました。

 

・今日、詩を書いて読んだがみんなの詩をバラバラにして1つにした時、それなりに詩になっていて、読むと重みがあり、言葉というのは大切なんだと思いました。

 

・全員の書いた詩をバラバラにして長い詩をつくることで、自分以外の障害を持った方への感じ方、見方を知ることができて良かった。全体を通じて色々な経験をすることができて良かったです。

 

・一人ひとりの思いを詩にしてそれをみんなでくっつけました。みんな最初は不安があるみたいだったが、関わる中で少しずつその不安が消えていったような気がしました。笑顔が一番だと感じました。

 

 

苦労のはるか先をいつも見ていた気がします。

  ぷかぷかのお店ができる前、家具デザイナーの小林さんがお店の絵を描いてくれました。

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 これを元にああしたい、こうしたい、と二人で夢を語り合いました。小林さんはパン屋なんだから、お店の中に小さな麦畑を作ろう、そばには小川を流そう、と大胆な夢を語っていました。麦も小川も夢に終わりましたが、でもそんな話をしてる時って、なんか、一番楽しかったな、と思うのです。

 小さなお店の中に麦畑を作るだの、小川を流そう、なんて実に荒唐無稽の話なのですが、そういうお店があると楽しいなぁ、なんてふと思い、それを実現させるためにはどうしたらいいかをいろいろ考えたりしました。だから夢はどう転んでも楽しいのです。

 ぷかぷかがいつも楽しいのは、そういう遊び心から出発したせいだと思います。採算よりも遊び心が先にあったのです。ですから実際にスタートしてからは、この採算がとれるまで、えらく苦労しました。それでも、遊び心はどこかで密やかにうごめいていて、苦労のはるか先をいつも見ていた気がします。

 

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映像にはしんごっちのメッセ−ジが…

『横浜に子どもホスピスを〜新しいゆめのかたち〜』の 新しい映像ができました。

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 元ぷかぷかさんで4年前、脳腫瘍で亡くなったしんごっちのお母さんがこの「横浜に子どもホスピスを」の設立に奔走していました。

 映像を見て真っ先に思ったのはしんごっちのことでした。しんごっちがここにいる!って思いました。

 しんごっちは生きる楽しみを見つける名人でした。脳腫瘍の手術のあと、余命数ヶ月、といわれる中で、しんごっちはベッドの上でわくわくするような動画を自分のiPhoneで撮っていました。

 

 何かが入っている箱を開けていく動画です。パッケージが少しずつほどかれて、何が出てくるんだろう、と見ている方がわくわくするような動画です。ところがこの動画、よく見ると、病院のベッドで撮ったものでした。しんごっちの足が少し写っていて、足首に病院のラベル(患者番号を書き込んだもの)が見えました。何のことはない、脳腫瘍の大手術を終え、まだ入院している頃に撮ったものでした。

 脳腫瘍は完全には取りきれず、多少余命が伸びた、という時期です。そんな状況に自分がおかれたら、精神的にかなり追い込まれ、何かをする気力があるだろうかと思ってしまうのですが、しんごっちは狭いベッドの上で動画を撮ったのです。しかも見る人がわくわくするような動画です。

 私なら、多分自分を保つのに精一杯になるだろうと思われる状況の中で、なおも生きる楽しさを見つけ、しかも人を喜ばせようとしているのですから、本当にびっくりしました。

 

 どんなに厳しい状況にあっても、人は命のある限り、その命を輝かせるのだと思います。しんごっちはそのことを目に見える形で教えてくれました。

 そういうしんごっちの生き方がそのまま「横浜子どもホスピス」の理念になっていると思いました。

 そんなことを思って、映像を紹介してくれたFujikiさんのフェイスブックに「しんごっちのメッセージ」と題したブログを投稿しました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

このブログに、映像を構成した宮原さんがこんな感想を寄せてくれました。

 

 1年くらい前、絵の展覧会をしていた安井さんのオフィスにお邪魔してお話する中で、信吾くんがぷかぷかにいらしたことを知りました。彼の登場する日記、こんなにたくさんあったんですね。ありがとうございます!
信吾くんの電車の絵、特に銀河鉄道の夜の絵、大好きです。宮沢賢治が同時代に生きていたら、絶賛していたに違いありません。絵本が生まれていたかも…。

「こどもホスピス」3連作の動画のひとつは、安井さんのご自宅で、信吾くんのベッドのすぐ横でインタビューしながら撮影しました。いろんな思いがこみ上げて私のほうが涙が止められませんでした。信吾くんとの”出会い”は、私にとっても一生の宝物です。

 

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 しんごっちは、今もこうやって新しい出会いをもたらしてくれます。

 

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上映会とトークセッションの前に詩の朗読と歌

 2月9日(土)福岡で上映会、トークセッションをやります。

 

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  教職員組合の主催ですが、誰でも参加できます。昨年7月に相模原障害者殺傷事件2年目の追悼集会で上映会とトークセッションをおこなった筑豊の「虫の家」 の理事大場さんが企画してくれました。

 ただ上映会、トークセッションをやるのもおもしろくない気がして、上映会の前に簡単な詩を読むワークショップをやろうと思っています。

 谷川俊太郎の「うんこ」の詩の朗読をやろうと思っています。朗読は、集中してやると、人の心と体をほぐします。1月14日に福岡でワークショップやったときも、コミュニケーションゲームのあと、障害者雇用という重いテーマでワークショップを始める前、ちょっと場の集中が途切れてしまい、このまま重いテーマのワークショップはきついなぁ、と思っていました。たまたま「うんこ」の歌詞カードがあったので、急遽「うんこ」という詩の朗読をしました。

  

   ごきぶりの うんこは ちいさい

   ぞうの うんこは おおきい


   うんこというものは

   いろいろな かたちをしている


   いしのような うんこ

   わらのような うんこ


   うんこというものは 

   いろいろな いろをしている


   うんこというものは

   くさや きを そだてる


   うんこというものを

   たべるむしも いる


   どんなうつくしいひとの

   うんこも くさい


   どんなえらいひとも

   うんこを する


   うんこよ きょうも

   げんきに でてこい

 

 この詩の朗読は大成功でした。場がぐっと集中し、そのあと、とても中身の濃いワークショップができました。

 オペラシアターこんにゃく座の萩京子さんが作曲した歌もあるので、CDかけながら歌も歌っちゃおう、と思っています。

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8番目に「うんこ」の歌が入っています。

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 詩の朗読をして歌も歌って、心も体もほっこりあたたかくなったところでぷかぷかの映画見たら、ぷかぷかのあの空気感がより伝わる気がしています。頭ではなく、心と体で受け止められます。

 トークセッションも、

「映画の中でどうしてこんなに笑顔が多いのか」

というテーマでみんなで話し合えるようなトークセッションにしたいと思っています。そういう切り口でぷかぷかをみんなで考えてみよう、というわけです。私が一方的に笑顔が多い理由を語るよりも、みんなでその理由を探った方が、よりいろんな問題が見えてくると思います。何よりも自分のいる場所で笑顔を増やすことができます。

 

 ★あなたの街でもぜひこんな上映会、トークセッション、企画して下さい。やってみようかな、と思ったらpukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎までお問い合わせ下さい。