ぷかぷか日記

ぷかぷか理事長タカサキによる元気日記

ぷかぷか日記は以下に移転しました。
ぷかぷか日記 – NPO法人ぷかぷか

テトのパン

 「テトのパン」ができます。テトはオペラ『ロはロボットのロ』の主人公のロボットの名前。テトはロボットですが、空は飛べません。走るのは苦手です。泳ぐのも苦手です。喧嘩は苦手です。算数も、鉄棒も、跳び箱も、犬も、お化けも、ピーマンも苦手です。

 苦手なものを数えると、両手の指と足の指を足しても足りません。

 たった一つ得意なもの、それはパンを作ることです。

 オペラ『ロはロボットのロ』は、そんなテトのわくわくするような冒険の物語です。

 そしてぷかぷかは近々「テトのパン」を販売します。どんなパンが出るか楽しみにしていてください。テトのパンを食べると元気が出て、楽しくなって、歌を歌いたくなるようなパンです。

 ♪ テトのパンは あ

   あいうえおの あ

   晴れた日も 曇った日も 雨の日も

   哀しい時も 苦しいときも 寂しいときも

   やって来る

   朝の あ

   新しい元気と 新しい喜びと

   新しい元気が窓たたく

   朝の あ

   ああああ

   新しい朝の あ

 

 「テトのクッキー」「テトのコーヒー」「テトのバッチ」も出ます。いずれも寄付金付きで500円くらいの予定です。

 テトのパン、あるいはクッキーをかじりながらテトのコーヒーを飲むのがちょっとはやるかも知れません。子ども向けにテトのジュースも用意した方がいいですね。今、書きながら気がつきました。

 

 3月4日(土)にはみどりアートパークリハーサル室で「歌のワークショップ」があります。歌役者さん二人といっしょにオペラの中の歌を楽しみます。ふつうの会話がオペラになるとどんな風になるかをやったりします。オペラの舞台に豊かな世界が立ち上がる理由がよくわかります。

 昨年やった歌のワークショップです。まだチケットの余裕がありあすので、「あ、面白そう」って思った方はぜひおいで下さい。

pukapuka-pan.hatenablog.com

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レクイエムー未来への希望をもたらす演奏

 表現の市場の「レクイエム」の演奏シーンをYouTubeにアップしました。これを聞きながら相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方々のことを思い浮かべてください。そしてどうしてあのような事件が起こったのか、どうしてなんの罪もない障がいのある人たちが殺されてしまったのか、考えてみてください。単なる容疑者の特異性の問題なのか、容疑者を生み出した社会には問題はなかったのか、あるいは私たちの障がいのある人たちの受け止め方はどうだったのか、等々、考えてみてください。

 考えて、考えて、考え抜くことでしか、相模原障害者殺傷事件は超えられません。

www.youtube.com

 この演奏がぷかぷかで働いているダイちゃんとのコラボで成り立ったことの意味は大きいと思います。相模原障害者殺傷事件を超える未来への希望をもたらす演奏だった気がします。

 

★撮影は信田眞宏さんです。

殺風景だった通路が、心あたたまる通路に変身

  藤が丘駅前の大きな自然食品店「マザーズ」の壁をぷかぷかさんたちの絵で飾ろうと思っています。駅前の通路に面した壁です。

  藤が丘の駅前から見て正面の太い柱の左側の面に「え?なに?あの絵、面白いじゃん」て思えるような思いっきり楽しい絵を飾ります。駅前からお客さんを引っぱってくるのです。左側奥に延びる通路の壁に絵を飾ります。

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 今日は、自然食を象徴する野菜の絵を描きました。

 長ネギくん

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 ブロッコリーさん

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 ジャガイモくん

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カボちゃん

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ゆずくん

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長いもさん

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 こんな楽しい絵が飾られます。

 

 先日、ぷかコレ秋のファッションショーのモデルのお姉さんたちを飾ってみました。通りかかったお客さんが「や〜、楽しい!何が始まるんですか?」なんて言ってました。

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 カフェの壁を飾っていた春の絵も飾ってみました。今日はこの絵に季節が更に進んで、すっかり春らしくなりました。

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上の絵が春に!

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 殺風景だった通路が、ぷかぷかさんたちの絵を飾ることで、思わずニッと笑ってしまったり、心あたたまる通路に変身します。ぷかぷかさんたちの絵は、窮屈な社会の中で、ガチガチにこわばった心と身体を、ふっとゆるめてくれます。

 一ヶ月か二ヶ月ごとに絵を変えていきます。通路を通る人たちが絵の変わるのを楽しみにし始めます。頃合いを見て、ライブペインティングをやります。通りがかりの人も参加できるようにします。ぷかぷかさんと一緒に絵を描くのです。ぷかぷかさんといっしょに生きる、そんな街がここから始まります。

  こんな絵が街にあると楽しいね、っていう声が出てきます。そんな声が、こんな絵を描く人が街にいるといいよね、っていう思いにつながっていくといいなと思っています。

 こういったことを積み重ねることで、相模原障害者殺傷事件を起こしてしまった社会を超えることができるように思うのです。

 

支援はしていたけれど、人として出会ってなかった

 ぷかぷかの本を出す出版社の方と打ち合わせをした時、相模原障害者殺傷事件が話題となり、「どうして福祉事業所の職員だった人が、あんなことをやったんですか」と聞かれました。そのときはうまく説明できなかったのですが、その問いだけはずっと気になっていました。

 障がいのある人たちに一番接している人がどうしてあんなひどいことをしたのか。やっぱり障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」のではないかと思います。支援はしていたけれど、人として出会ってなかった、ということです。人として出会っていれば、多分あそこまでひどいことにならなかっただろうと思います。そこに「人であることの意味」があるように思います。

 

 私は養護学校で働き始めた頃、障がいのある人たちに自分が人であることを気づかせてもらったと思っています。彼らのそばにいると、ただそれだけであたたかい気持ちになりました。やさしい気持ちになれました。

 会社勤めをやっている頃はそんな気持ちになったことはありませんでした。仕事でおつきあいする人のそばにいて、あたたかい気持ちになったり、やさしい気持ちになったことはありませんでした。人としての感覚を忘れていた気がします。

 障がいのある人たちとおつきあいが深まる中で、月並みですが、人間ていいなってしみじみ思いました。彼らのそばにいて、あたたかな気持ちになれる感じが、なんともいえずよかったのです。障がいのある人たちが、人としての感覚を呼び覚ましてくれたと思っています。

 立場上、私は教員でしたが、教員である前に人として彼らの前に立っていた気がします。彼らとの楽しい日々の中で、つい教員であることを忘れ、人として彼らの前に立ってしまっていた、という感じです。

 

 以前も書いたことですが、こんなことがありました。クラスのみんなで大きな犬を紙粘土で作ったときのことです。小学部の6年生です。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、けんちゃんにちょっと質問してみました。

「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」

「あのね、あのね、あの……あのね…、え〜と、あのね…」

と、一生懸命考えていました。なかなか答えが出てきません。

「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」

と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれを見て更に一生懸命考え、

「そうだ、わかった!」

と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、

「おさかな!」

と、思いっきり大きな声で答えたのでした。

 一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、思わず

「カンカンカン、あたりぃ! 座布団5枚!」

って、大きな声で叫んだのでした。

 それを聞いて

「やった!」

と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こっちまで幸せになってしまうような笑顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対トク!、と理屈抜きに思いました。

 もちろんその時、

「けんちゃん。これはおさかなではありません。犬です。いいですか、犬ですよ。よく覚えておいてくださいね。い、ぬ、です。わかりましたか?」

と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。むしろこっちの方が一般的であり、正しいと思います。まじめな、指導に熱心な教員なら多分こうしたと思います。

 でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっているように思いました。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。

 あの時、あんな素敵な言葉に出会えたこと、そしてけんちゃんに出会えたこと、それを幸福に思っています。幸福に思うことこそ、人と人の関係では正しいのだと思います。だからけんちゃんと私の間では「おさかな!」が正しかったのです。

 

 容疑者が、障がいのある人たちとこんな出会いをしていれば、あんな惨劇は絶対におきなかったと思います。

 優生思想を超える、といった小むつかしい話ではありません。彼らと楽しい出会いをすること、ただそれだけで、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を変えることができると思うのです。

 

 

  

 

 

逸失利益の問うもの

 昨日に引き続き、障がいのある人が亡くなったときの逸失利益の問題です。

NHKニュースでは二つの事例が紹介されていました。

 

 大分県で特別支援学校の男子児童が死亡した事故では平成16年、大分地方裁判所が「医療技術の進歩を考慮しても児童が将来、働けるようになる可能性を認めるのは難しい」として、県が逸失利益を支払う必要はないとする判断を示しました。

 これに対し、16歳の少年が施設で死亡した事故で、青森地方裁判所は平成21年、「健常者と同じ程度ではなくても、徐々に働く能力を高めることができた可能性があった」として、県の最低賃金をもとに600万円余りの逸失利益を認めました。

 

 前者の判決は、働けなければ、生み出すものは何もないといっています。裁判官には働けない人が生み出すものの価値が見えなかったのではないかと思います。

 後者は前者よりはましだと思いますが、働く能力に限っての判断なので、やっぱり引っかかります。

 

 わかりやすく、セノーさんを例に出します。

  働く能力、といったところで見ると、セノーさんはかなり厳しいと思います。気がつくと仕事中でも寝ていることが多いし、トイレに入ると仕事があってもなかなか出てきません。ぷかぷかに来る前の作業所で自分の居場所を失ったのもわかる気がします。ではぷかぷかでどうしてセノーさんの居場所があるかというと、セノーさんの作り出すなんともいえないあたたかな、楽しい雰囲気を、みんなが評価しているからです。その雰囲気が大事だとみんなが思っているからです。

 毎日郵便局に入金にいきます。「ああああ…」といってなかなか言葉が出てこないのですが、それでいてなんとも楽しい雰囲気を作り出し、郵便局のお姉さんたちには大人気です。お姉さんたちの中にあった「障害者」のマイナスイメージを多分ひっくり返しています。セノーさんを見るお姉さんたちのあたたかな目がそれを物語っています。

 仕事がよくできる方が郵便局に行っても、多分こういう関係はできません。今社会に必要なのは、先日も書きましたが《「ぷかぷかさん」といえば「ああ、ぷかぷかさん」とやさしくこたえてくれるような関係 》です。こういった関係は社会を豊かにします。それをセノーさんは作ってくれたのです。社会にとって、すばらしい仕事をやってくれたと思います。

 

 セノーさんはぷかぷかに居場所があります。セノーさんが安心していられる場所は、誰にとっても居心地のいい場所です。ぷかぷかさんたちにとってはもちろん、お客さんにとっても居心地のいい場所です。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファン」という方が多いのも、その居心地のよさを感じる方が多いのだと思います。

 セノーさんが生み出すものをきちんと評価すると、こういう居心地のいい場所ができるのです。逆にそういったものを評価する目を持っていないと、どんどん窮屈な世の中になっていきます。

 障がいのある人たちの逸失利益の問題は、私たちの生き方が問われているように思います。

    

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彼らが生み出す価値をどう評価するのか

 障がいのある人の逸失利益が裁判で争われます。

www3.nhk.or.jp

 この逸失利益は働いて得るお金だけでしょうか?その人が生きて生み出す価値の総体こそ問題にしないと、障がいのある人たちの生きている意味が見えなくなります。

 ぷかぷかはたくさんのお金を生み出すところではありません。でもお金に換算できない「豊かさ」はしっかり生み出しています。つい先日の「表現の市場」はどうだったでしょう。

 「表現の市場」の素晴らしさは、障がいのある人たちの持っている力に寄るところが大きいです。彼らがいなければ、「表現の市場」の豊かさは生み出せませんでした。そんなふうに社会を豊かにするものをきちんと評価する目を持たないところで、たとえば相模原障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者はいない方がいい」とか「生きている意味がない」といった言葉が生まれるのではないでしょうか。

 お金では計れない価値を彼らは生み出しています。そのことをきちんと評価する目を私たちが持っていれば、社会はもっともっと豊かになる気がします。

 彼らが生み出す価値をどう評価するのか、裁判はそのことが問われているように思います。

 

  

こんな心があたたかくなることがあるから、ぷかぷかの人たちと舞台に出たいって思う

 表現の市場前日にhanaちゃんと一緒にワークショップに参加、なんの違和感もなく舞台に立った花岡さんの感想。

ameblo.jp

 花岡さんは第一期のワークショップの記録映画『ぷかぷか』を見て感動し、以来何かとぷかぷかと関わり、第二期ワークショップではhanaちゃんと参加し、舞台にも一緒に立ちました。今期はなかなか都合がつかなくて参加できなかったのですが、前日にようやく参加。大丈夫かなと心配していたのですが、花岡さんもhanaちゃんもなんの違和感もなく入ってきて、当たり前のように本番の舞台に立ちました。

 花岡さんもhanaちゃんも、ワークショップの場に慣れていたことと、ぷかぷかが当たり前のように二人を受け入れたことが大きかったと思います。

 二人はトラグループに入ったのですが、何も教えないのにhanaちゃんは「アルゴリズム体操」のグールグルをすぐにやっていました。hanaちゃんは参加者の中ではいちばん重い障がいを持った子どもですが、グールグルをすぐに始めたhanaちゃんを見ていると、障がいが重いってなんなんだろうという気がします。この子にはわからないんじゃないかっていう雰囲気のhanaちゃんですが、その場で何をやっているかはちゃんと察知して、気がつくとこんなことやっていました。隅に置けない人だと思いました。

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 舞台の袖で出番を待っているhanaちゃん。緊張しています。

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 リハーサルの舞台。お母さんと一緒にちゃんと舞台に立っています。

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 重度の障がいを持った子どもと一緒に、こんなふうに楽しく立てる舞台がぷかぷかの舞台だと思います。